「私が覚えている最後の言葉は、父の『さぁ行くぞ!』と母の『止めて!止めて!』そして地面に激突した……」─ 今回は、墜落した飛行機の乗客のうち、ただ1人無傷で生還した女性によるAMAです。
元スレ:(2015/01/07)
Q. 機体はどれぐらい壊れた?
A. 爆発した!
Q. なんてことだ……想像もできない。パイロットは生き残った?
A. 生き残ったのは3人だけ。母、私、1人の男性。私以外の2人は重傷を負っていた。
Q. どんな飛行機だった?
A. セスナキャラバン。
Q. 墜落の原因はシングルエンジン飛行機のエンジン故障かい?それでパイロットはジャングルに着陸せざるを得なかった?
A. えぇ。私たちはグアテマラの山の上にいた。ありがたいことに、パイロットが平野に気づいてそこへの緊急着陸を試みたの。
Q. どこへ向かおうとしていたの?
A. グアテマラの山中にある僻村で、学校を建設する予定だった。
Q. その飛行機は誰の所有物だった?君たちのグループはどうやってその飛行機に行き着いた?パイロットはどこからやってきた?彼らは経験を積んだ操縦士だった?
A. 私たちのために全てすでに手配されてた。
(↑OPが出版予定の飛行機事故回想記)
元スレ:(2015/01/07)
(OP)
飛行機墜落事故のサバイバーよ、AMA(なんでも聞いて)!
私は2008年にグアテマラで起きた飛行機墜落事故で生き残った、25歳の女性。
乗客は14人中11人が死亡した。私の父も弟も。自分の体験を語る準備はできてるわ。
証明:https://www.facebook.com/LifeisBeautifulBook?fref=nf
関連記事:【動画有】自宅で飛行機作ってるけど、なんか質問ある?【DIYで大空へ】
Q. 機体はどれぐらい壊れた?
A. 爆発した!
Q. なんてことだ……想像もできない。パイロットは生き残った?
A. 生き残ったのは3人だけ。母、私、1人の男性。私以外の2人は重傷を負っていた。
Q. どんな飛行機だった?
A. セスナキャラバン。
Q. 墜落の原因はシングルエンジン飛行機のエンジン故障かい?それでパイロットはジャングルに着陸せざるを得なかった?
A. えぇ。私たちはグアテマラの山の上にいた。ありがたいことに、パイロットが平野に気づいてそこへの緊急着陸を試みたの。
Q. どこへ向かおうとしていたの?
A. グアテマラの山中にある僻村で、学校を建設する予定だった。
Q. その飛行機は誰の所有物だった?君たちのグループはどうやってその飛行機に行き着いた?パイロットはどこからやってきた?彼らは経験を積んだ操縦士だった?
A. 私たちのために全てすでに手配されてた。
パイロットは彼らの最善を尽くした……機体の故障だったの……
Q. どこの座席に座っていた?後方?前方?通路側?窓側?
A. 窓側の席。
Q. 飛行機が下降していることに気づいた時、みんなどんなリアクションをとった?
A. みんななにか良くないことが起こっていると分かっていた……パニック、罵り、その後は恐怖を煽る沈黙……
Q. 墜落を悟ったとき、君の脳裏を駆け巡ったものは?
A. 正直言って、怯えてた。でもあんなにも恐ろしいことになるとは思っていなかった。死んだり怪我をしたりするなんて全然思ってなかった。何もかも上手くいくと信じてた。でも、そうはならなかった。
Q. パイロットは何をした?何を言った?
A. 2人のパイロットがいたの。男性と女性のパイロット。上空でエンジンが止まってすぐ、彼らはコックピットで慌ただしく動き始めた。グアテマラだったから、話していたのは英語じゃなかった。最終的に機体が旋回し始めると、彼らは私たちを振り返って訛った口調で言った。
「シートベルトの着用をご確認ください」
それだけ。彼らが言ったのはそれが全て……。
Q. これは辛い質問かもしれない。辛すぎたら答えなくてもいい。君の家族は死ぬかもしれないと思っていた?混乱状態の中、君や、お父さんや弟さんには最期の言葉や「愛してる」を言うための時間があった?
A. えぇ。父が愛と別れの言葉を言い始めたわ。
Q. 衝突の直前に何を思った?人生が走馬灯のように蘇った?
A. 私は心から怯えていたけど、万事問題ないと本当に思ってた。激しい着陸になると予期していた。でもあんなにひどい衝突みたいなものは全く予想してなかった。
激突前、父は言った。「さぁ行くぞ!!」だから父は死を予期していたんだと思う。そんな考えは私の頭には一度もよぎらなかった。
Q. 「不安だわ。はやく良くなるといいけど」から「あぁ!墜落する」に気持ちが変わったのはどの瞬間だった?
A. えぇと、飛行機は騒音を立ててる。それが沈黙したとき恐怖を感じたわ!すごく不安になるノイズが聞こえた。平野に接近している時、あたりの木々が鞭のようにしなって、すごく速くて、私は着陸には速度が出すぎてるって分かってた。
Q. バカな質問かもしれないけど、離陸前の機内安全デモンストレーションの指示のどれかが頭に浮かんだ?
A. ううん。私たちは未知の事態に備えただけ……
Q. 1万フィートからの激突がどんな感じだったか覚えてる?
A. 地面に急降下したわけじゃないの。緊急着陸を試みるために「滑空」した……それは本当にものすごく荒々しい着陸だった!!
Q. 胴体着陸時に木や建物や家なんかにぶつからなかったの?
A. いいえ。単に平野をバウンドしただけ。翼が最終的に地面にぶつかって、そういうわけで墜落したの。
Q. 乗客は叫んだり怒鳴ったりした?
A. 実際は本当に静かだったの!!誰もしゃべらず、誰もなにも言わなかった……
私が覚えている最後の言葉は、父の「さぁ、行くぞ!」と母の「止めて!止めて!」
そして地面に激突した……
Q. 衝突そのものはどんな感じだった?
A. バーン、バーン、バーン……静寂……
Q. 地面に激突した時意識を失った?それとも全てを覚えてる?
A. 全てを覚えてる。一度も気絶しなかった。着陸を試みようとしていたその次の瞬間に激突して、私は逆さに吊り下げられた。
Q. 君は生き残るためになにかやったの? それとも単に幸運だっただけ?
A. えぇと、エンジンが切れてすぐ(高度1万フィート(約3km))に神に祈り始めた。
ありがたいことに、私はなんの怪我もなく飛行機から歩いて出られた。
Q. 墜落後はどんな気持ちだった?思考はどう移り変わった?
A. 墜落後、私は自分が座席に逆さまにぶら下がっていることに気がついた。最初に思ったのは、「神様、ありがとう。私は生きてる」次に思ったのは「この飛行機から脱出しないと」
Q. お兄さんとお父さんを失ったことに気づいたのはいつ?
A. えぇと、衝突した時は完全な静寂だった。母が生きているのに気づいた時、機内に戻って母を助け出したの。そうしてる間に父の脚を見て、私は大声で父を呼び始めた。父は機体の破片に埋もれていた。動くことも、言葉を返すこともなかった。私は父の死を悟った。同じく弟の死も……。衝突のせいで何も見えなかった。
Q. 救助はすぐに現れた?墜落後に何が起こった?
A. 幸運にも、私たちは村の近くに墜落した。だから人々が私たちのところに駆け寄ってきた。飛行機が爆発した後に救急車もきたわ(実際はバンだったけど)。
Q. 事故の後は夜眠れなくなった?
A. 家に帰った後はアルコールに溺れた。事故後数ヶ月は、自分の人生について考え始めることすらしていなかった(私は当時19歳だった)。
Q. フラッシュバックはある?セラピーにどれぐらい通った?一番近しい人は誰?事故について話すのが辛い時がある?
A. フラッシュバックはないの。幸運にも。事故後1ヶ月でPTSD(心的外傷後ストレス障害)のためのセラピーに通い始めて、2年ぐらい通ってた。
今は夫が私にとって一番近しい存在よ。事故について話すのは以前はすごく辛かった。でも受け入れ始めたの。理解はしていない。でも私の体験を人にシェアする覚悟はできてる。
Q. 他の生存者と最後に連絡とったのはいつ?
A. 母が生存者の一人。私たちの関係は緊張してる。もう1人の生存者には、私が書いた本について教えるために最近連絡を取ったわ。
Q. 今も飛行機に乗ってる?それとも他の交通手段を選択してる?
A. 飛行機に乗ってる。乗るときは極度の不安を抱えてるけど、乗り越えてる。私がもう一度墜落事故に合う確率ってどれぐらいある?
飛行機墜落事故でただ1人無傷で生還したのもすごい確率ですよね……
墜落の恐怖と家族の喪失を同時に乗り越えなければいけなかった心情を思うと、本当に胸が痛みます。
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Q. どこの座席に座っていた?後方?前方?通路側?窓側?
A. 窓側の席。
Q. 飛行機が下降していることに気づいた時、みんなどんなリアクションをとった?
A. みんななにか良くないことが起こっていると分かっていた……パニック、罵り、その後は恐怖を煽る沈黙……
Q. 墜落を悟ったとき、君の脳裏を駆け巡ったものは?
A. 正直言って、怯えてた。でもあんなにも恐ろしいことになるとは思っていなかった。死んだり怪我をしたりするなんて全然思ってなかった。何もかも上手くいくと信じてた。でも、そうはならなかった。
Q. パイロットは何をした?何を言った?
A. 2人のパイロットがいたの。男性と女性のパイロット。上空でエンジンが止まってすぐ、彼らはコックピットで慌ただしく動き始めた。グアテマラだったから、話していたのは英語じゃなかった。最終的に機体が旋回し始めると、彼らは私たちを振り返って訛った口調で言った。
「シートベルトの着用をご確認ください」
それだけ。彼らが言ったのはそれが全て……。
Q. これは辛い質問かもしれない。辛すぎたら答えなくてもいい。君の家族は死ぬかもしれないと思っていた?混乱状態の中、君や、お父さんや弟さんには最期の言葉や「愛してる」を言うための時間があった?
A. えぇ。父が愛と別れの言葉を言い始めたわ。
Q. 衝突の直前に何を思った?人生が走馬灯のように蘇った?
A. 私は心から怯えていたけど、万事問題ないと本当に思ってた。激しい着陸になると予期していた。でもあんなにひどい衝突みたいなものは全く予想してなかった。
激突前、父は言った。「さぁ行くぞ!!」だから父は死を予期していたんだと思う。そんな考えは私の頭には一度もよぎらなかった。
Q. 「不安だわ。はやく良くなるといいけど」から「あぁ!墜落する」に気持ちが変わったのはどの瞬間だった?
A. えぇと、飛行機は騒音を立ててる。それが沈黙したとき恐怖を感じたわ!すごく不安になるノイズが聞こえた。平野に接近している時、あたりの木々が鞭のようにしなって、すごく速くて、私は着陸には速度が出すぎてるって分かってた。
Q. バカな質問かもしれないけど、離陸前の機内安全デモンストレーションの指示のどれかが頭に浮かんだ?
A. ううん。私たちは未知の事態に備えただけ……
Q. 1万フィートからの激突がどんな感じだったか覚えてる?
A. 地面に急降下したわけじゃないの。緊急着陸を試みるために「滑空」した……それは本当にものすごく荒々しい着陸だった!!
Q. 胴体着陸時に木や建物や家なんかにぶつからなかったの?
A. いいえ。単に平野をバウンドしただけ。翼が最終的に地面にぶつかって、そういうわけで墜落したの。
Q. 乗客は叫んだり怒鳴ったりした?
A. 実際は本当に静かだったの!!誰もしゃべらず、誰もなにも言わなかった……
私が覚えている最後の言葉は、父の「さぁ、行くぞ!」と母の「止めて!止めて!」
そして地面に激突した……
Q. 衝突そのものはどんな感じだった?
A. バーン、バーン、バーン……静寂……
Q. 地面に激突した時意識を失った?それとも全てを覚えてる?
A. 全てを覚えてる。一度も気絶しなかった。着陸を試みようとしていたその次の瞬間に激突して、私は逆さに吊り下げられた。
Q. 君は生き残るためになにかやったの? それとも単に幸運だっただけ?
A. えぇと、エンジンが切れてすぐ(高度1万フィート(約3km))に神に祈り始めた。
ありがたいことに、私はなんの怪我もなく飛行機から歩いて出られた。
Q. 墜落後はどんな気持ちだった?思考はどう移り変わった?
A. 墜落後、私は自分が座席に逆さまにぶら下がっていることに気がついた。最初に思ったのは、「神様、ありがとう。私は生きてる」次に思ったのは「この飛行機から脱出しないと」
Q. お兄さんとお父さんを失ったことに気づいたのはいつ?
A. えぇと、衝突した時は完全な静寂だった。母が生きているのに気づいた時、機内に戻って母を助け出したの。そうしてる間に父の脚を見て、私は大声で父を呼び始めた。父は機体の破片に埋もれていた。動くことも、言葉を返すこともなかった。私は父の死を悟った。同じく弟の死も……。衝突のせいで何も見えなかった。
Q. 救助はすぐに現れた?墜落後に何が起こった?
A. 幸運にも、私たちは村の近くに墜落した。だから人々が私たちのところに駆け寄ってきた。飛行機が爆発した後に救急車もきたわ(実際はバンだったけど)。
Q. 事故の後は夜眠れなくなった?
A. 家に帰った後はアルコールに溺れた。事故後数ヶ月は、自分の人生について考え始めることすらしていなかった(私は当時19歳だった)。
Q. フラッシュバックはある?セラピーにどれぐらい通った?一番近しい人は誰?事故について話すのが辛い時がある?
A. フラッシュバックはないの。幸運にも。事故後1ヶ月でPTSD(心的外傷後ストレス障害)のためのセラピーに通い始めて、2年ぐらい通ってた。
今は夫が私にとって一番近しい存在よ。事故について話すのは以前はすごく辛かった。でも受け入れ始めたの。理解はしていない。でも私の体験を人にシェアする覚悟はできてる。
Q. 他の生存者と最後に連絡とったのはいつ?
A. 母が生存者の一人。私たちの関係は緊張してる。もう1人の生存者には、私が書いた本について教えるために最近連絡を取ったわ。
Q. 今も飛行機に乗ってる?それとも他の交通手段を選択してる?
A. 飛行機に乗ってる。乗るときは極度の不安を抱えてるけど、乗り越えてる。私がもう一度墜落事故に合う確率ってどれぐらいある?
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飛行機墜落事故でただ1人無傷で生還したのもすごい確率ですよね……
墜落の恐怖と家族の喪失を同時に乗り越えなければいけなかった心情を思うと、本当に胸が痛みます。
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