「俺は取り調べをほとんど楽しんでいた。警官たちをからかうチャンスがたくさんあったからだ」─ 日本での犯罪が発覚し、最終的に国外退去処分となった男性によるAMA(なんか質問ある?)。犯罪に手を染めた経緯、日本の警察による取り調べ、留置場生活、国外退去処分まで全てを語っています。
(※AMAはレアな状況にある人やレアな体験をした人たちに質問しようという場です。レアな1人の行いを大多数や全員のものとして認識してしまう方は、どうか読まずにお引き取り願います)

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photo credit: opellulo via photopin cc

元スレ:I moved to Japan, grew and sold marijuana until I was caught AMA!(2015/01/27)

(OP)
ハロー、reddit。

10年前に親友が死んだ後、俺は10代の頃から所属していたギャングを去ることを決めた。全てを一緒に乗り越えてきたガールフレンドと婚約して、新生活を始めるために国の反対側へ行った。

思ってたよりも足を洗うのが難しいことがわかって、6ヶ月後に俺たちは国を離れることにした。俺はずっと日本に行きたかった。だから日本行きのチケットを買った。でも土壇場になって、婚約者はこの新しい冒険がちょっと彼女にとってやりすぎだと判断した。それで彼女は別の便に乗って別れた。

最初の1年は英会話講師をしながら日本中を旅して回った。でもNOVA英会話スクールが倒産して市場に人があふれると、仕事はごく少なくなった。昔の悪癖はしぶとかった。俺は帰国して落ち着くよりも、苦境に耐えてビジネスを始めることを選んだ。

俺は最高級の大麻を育てて、東京と2、3の都市でちょっとした故郷の味を探している外国人に売り始めた。 2、3年後、リスクに対する儲けが少なすぎると思った。それでその夏に、屋外でよりたくさんの大麻を栽培し始めた。それが結局は逮捕・留置場生活・国外追放につながった。
日本への再入国が禁じられている期間は「長期間」だ。でもいつかまた将来日本に戻れたらと思ってる。

要約:婚約した。ギャングを抜けて国から逃げ出した。雇用主との契約が切れた。だから帰国するよりドラッグを売ることを選んだ。逮捕されて強制送還された。AMA(なんでも聞いてくれ)。

証明:(管理人が本人確認済み)



Q. 日本にどれぐらい住んでた?


A. 約5年。その間は2、3度短い休暇で離れただけ。

Q. 日本生活の収入と支出はどうだった?

A. 日本は物価が高い。それに英会話講師の給料は妥当だが高くはない。さらに英会話講師には給料の上限があるし、昇進がめったにない。残りの人生を英会話講師として過ごしたいとも思ってなかった。

Q. どうやって日本に滞在したんだい?フリーランスビザ?NOVAが潰れた後は?

A. ワーキング・ホリデーで日本に渡って、1年後に日本で親友と結婚した。

Q. 国外居住者である君によく提示された合法的な仕事はなんだった?

A. NOVAが潰れたときはどうしていいのかわからなかった。ガールフレンドがいたし、日本に残りたかった。でも大卒じゃなくて日本が流暢じゃなくてもできる仕事はゼロだった。友達が何軒かのホストクラブに連れて行ってくれた。でも金のために女と寝るのは理論的には素晴らしくても、選択肢として考えると売人の方がストレスが少なそうだった。

Q. 学士号がないのにどうやって日本で英語を教えてたんだ?日本の文化にずっと魅了されてきたけど、英語を教えるためだけに大学に行って学費を払うのはちょっとな。

A. あぁ、学士号なしで可能だったけど、与えられたのはたった1年間のビザだった。長い目で見れば大学に行って損はないね。何を専攻するかにもよるけど。

Q. どうやって日本語を覚えたの?どれぐらい上手い?

A. 日本に行ってから身につけた。流暢じゃないが、数年でちゃんとした会話ができて、日本のテレビ番組を少しだけ理解できるようになったよ。

Q. 君の大麻はどれぐらい質が良かった?

A. 『バッド・チューニング』アメリカでカルトな人気を誇る学園青春ムービーより良かった。あの歌と映画よりも。
日本で手に入れた大麻の中で、俺のが最高だったって事実を本当に誇りに思ってる。

Q. どんな土壌で育ててた?特定の種を選んだ?

A. 種はアムステルダムの種子銀行に注文して、飛行機で自分で持って帰ってこなきゃいけなかった。俺は外国人の郵便は全部(あるいはほとんど)調べられてると信じてるから。
ホワイトウィドウとAK47、パープル・クッシュ、それと個人的に1番好きなベラドンナを育ててた。
適切な照明なんかを備えた屋内の農地だった。でも屋外に移すときに、都市から離れた田舎を選んだ。木々に囲まれてるから誰にも見られないだろうと俺が(愚かにも)考えた場所だった。

Q. 種をどこに隠して日本に持ち込んだんだい?

A. 謎として残しておいたほうがいい物事もあるもんだ。太陽さえも輝くのを憚る闇に覆われた影のように。

 └・つまりケツの中って言いたいんだな。

(訳注:"where the sun doesn't shine"で「尻の穴」の意味になります) 

Q. 商売敵にはどんなのがいた?

A. 競争相手は常にいたよ。でも俺は取引を少なく、小さく、他の売人と関わらないようにした。一番恐れていたのは、ヤクザに見つかって収入の数パーセントを支払わなければいけなくなることだった。スナックの女の子たちを通じてヤクザたちと知り合ったけど、彼らが俺のやっていることを知ることはなかった。

Q. 日本の大麻文化はどう?アメリカの一部の州みたいに寛大になってきてる?

A. 文化に関しては、たくさんの人が大麻を吸っているし、日本自身も大麻使用の歴史を持ってる。でも日本人はアメリカの厳格な大麻取締法を採用してる。今や一般的にすごく大きな社会的烙印が押されてるよ。 

Q. 大麻って日本人の間では人気ないの?

A. 日本人はシャブ(メタンフェタミン)が大好きだ。でもこっそり大麻を吸ってるマジでクールな日本人がたくさんいるよ。

Q. 逮捕後、奥さんとの関係は?その前に別れた?

A. 薬指に指輪を嵌める前の4年間、彼女は俺の婚約者だった。俺がギャングだった数年間は犯罪のパートナーでもあった。俺たちは俺が初めて捕まった後の短い犯罪休止期間に出会った。俺はまだ10代だったから、高校に戻ってそこで出会ったんだ。
2ヶ月後、滞在していた家の家族が俺を路上生活に投げ戻した。どこにも行くところがなかった俺は、すぐに売人として出戻った。

 └・質問者は日本人との結婚について聞いてるんだと思うよ。

  └(OP) おっと。彼女とは日本を初めて訪れた時に出会って、良い友人になったんだ。彼女の父親はヤクザの組員で、2人はもうあんまり関わりを持っていなかった。でも彼女がそれを話してくれたとき、俺は心地よい信頼を彼女に感じた。
ビザが切れそうになった時、彼女は俺に帰国するよりも日本に残るために結婚したいかと聞いた。1ヶ月かそこら考えた後、俺は残ることに決めた。
結婚はしたけど、一緒に生活してたりしてたわけじゃない。俺は真剣だったが、2人とも結婚してるというより付き合ってると呼ぶ方があっていた。結婚は形式的なものに過ぎなかったから。
彼女は素晴らしい人だったが、俺が日本を去る前に形式的に離婚した。俺は日本に戻れないし、日本の女性は結婚で仕事のキャリアを制限されるから。
俺たちは長い間連絡を取っていたが、結局彼女は人生を自分の国に戻し、俺もそうした。生活環境は俺たちの関係を永久に変えた。

Q. ギャングの頃は何を売ってた?何年間所属してた?日本で売るのは難しかった?

A. コカインとクラックを主に売っていた。でもバルク・ウィードも扱っていたから、日本に移住する前にそれを持ち込むアイディアがあった。正直言って、その経験が俺を日本で簡単にドラッグ販売ができるという考えに導いた。普通の人間ならそんな論理の飛躍をそうそうやらなそうだから。
誰かが決めてかかる前に言っておこう。俺は典型的な売人じゃない。友達と一緒にドラッグを使い始めたただのストリートチルドレンの1人で、その友達が結局売人になって、俺を引き入れた。俺は大麻以外の全てのドラッグをやめた。俺は賢く、野望を抱いていた。ギャングのボスが俺を一員にして、息子みたいに育ててくれた。最高の状況ってわけじゃなかったけど、そのとき俺はそれしか知らなかった。数年を経て、その生活が嫌でたまらなくなった。だから友達が死んだ後、俺はギャングを抜けた。

ストリートチルドレン
特に親や成人によって養育、保護されることなく、路頭で睡眠をとり、家を持たないものを言う。親や成人が身近に存在していても、その身近な親や成人も子供同様に路上生活をしている場合がほとんどであり、子供のそばにいるわけではなく、養育、もしくは保護されているとは言いがたい。
子供たちが、他人からの保護も無く独力で生活する上で、しばしば犯罪行為に手を染めたり、あるいは自身の危険を顧みずに道路上にまで飛び出していって物売りをする、または生活苦から児童売春といった行為にまで及ばなければならないといった面で、社会問題となる傾向を含む
Wikipediaより

Q. 主に外国人に売っていたって言ったけど、日本の大麻シーンはどんな感じ?

A. 初めて訪れたとき、俺はラッキーだった。日本で大麻を吸っているたくさんのいろんな人達と出会えた。サーファー、日本のヒップホップアーティスト、海外で経験して自分で持って帰った普通の日本人。値段は法外だったよ。大麻に1グラム80ドルの値がつくのが珍しくなかった。でも質の悪いハシシュを安く売っているイラン人たちもいつも公園にいた。
俺が大麻を吸おうと誘った日本人たちは、大麻に関してめちゃくちゃ誇大妄想的だった。出会って一緒に吸った1人目の女の子は、ボーイフレンドたちが隠していたのを俺に分けてくれた。俺がもっと買うかと彼女にたずねると、そのことは二度と口にするな、会ったことも忘れろと言われた。
それがビジネスを始める決心した大きな理由の一つだった。日本人は大麻を吸う。でもドラッグ使用に押された厳しい社会的烙印のせいですぐに密告するかもしれない。もしコトを控えめにしてガイジンだけに留まっていれば、逮捕されるリスクはより少ないだろう。

Q. 顧客は大人?ティーンエイジャー?

A. 全員大人。でも一度数人のサーファーの友達と吸った。彼らは女子高生たちとつるんでて、彼女たちも吸ってた。18歳だったと思うけど、当時俺もそんなに歳(20代前半)じゃなかったし、よくわからないな。あ、一度日本人ラッパーとも吸った。まだ10代だったと思うけど、彼が持ってた大麻だった。

Q. 捕まった経緯を全部教えてもらえる?

A. 俺は文字通り最後の挿し木を植え終えるためにその場所を訪れた。そして着いてすぐにいじられた形跡に気づいた。俺は田舎にいたから、車の音を聞いた瞬間に茂みに駆け込んで、座って待った。日本の警官たちがなだれ込んでくるのが見えた。そして俺は彼らが24時間監視していたことを知った。



Q. 日本における大麻の単純所持に対する罰は?

A. 刑罰には幅がある。でももし売人だと思われたら収監される可能性が高い。俺は幸運にも栽培の罪だけで逮捕されたから、処分は減刑された。最も可能性があるのは、強制送還されて、不確かな期間入国を禁止される(5年か、10年か、強制送還された時にどれぐらいの期間再入国できないのかと尋ねたら、警官はただニヤリと笑って「長期間」と言った。どういう意味か尋ねたが、彼はただ「長期間」と繰り返しただけだった)。

Q. ってことは、日本の警察は君の金を「不正所得」として応酬しなかったのか?

A. 警察は俺を販売じゃなく、栽培の罪で逮捕したんだ。所持金は拘留初日に領置金にできさえしたよ。

 └・そりゃすごいや!アメリカだったら栽培での逮捕に「販売目的で」と付け加えて、全部を押収するだろうな。

  └(OP) アメリカならこういう起訴にもうちょっとばかりなれてるけどな。俺が最初に大使館に聞いたのは、前回同じことをやった奴はどうしたか、だよ。大使館はこんなケースは俺が1人目で、次に同じ質問をされたときのために俺の裁判をじっくり見させてもらうと答えた。
日本は違った。警察は自白を取って、裁判は単なるつまらない見世物だった。アメリカの警察なら拘留して証拠を探し回り、その後全てが裁判に向けて動くのに。ようやく俺が自白調書にサインしたとき、30日以上が経っていた。取り調べと、誤訳やちょっとした思いつきからサインを拒んでいた自白調書の作り直しを繰り返したせいで。
警察は俺の扱いに手こずっていた。一方俺は取り調べをほとんど楽しんでいた。警官たちをからかうチャンスがたくさんあったからだ。
まず、警官たちは設備の全てが何のためのものか全然理解できていなかった。彼らにも考えはあったが、強制捜査で片付けられ、警察本部で再度組み立てる必要があった。警官たちは全ての証拠を認めさせるために俺に何度も何度見せた。留置場での30日後、土から引き抜かれた大麻は萎びて、動かされるたびにゴミみたいになっていた。その大麻が持ち出されたとき、俺は捜査を仕切っていた刑事に言った。正直認められない、彼の手の中でボロボロになっているそれがなんなのか分からないからと。彼は笑わずにいられなかった。警官たちは俺がそこにいた間、その大麻に水遣りなんかをできなかったようだった。
たくさんのちょっとした出来事があった。弁護士への手紙を許されたとき、警察が全てに目を通すことは十分承知の上だった。だからたくさんのデタラメを書いて送った。案の定、俺は検事のオフィスに引きずり込まれて、手紙に書いてあったことを質問された。俺は弁護士・依頼者間の秘匿特権の侵害について議論し始め、大使館に手紙を書くつもりだと言った。検事は日本の法律書を引っ張り出して、彼がなにかの法を犯したかどうか調べ始めた(犯してなかった)。俺は弁護士・依頼者間の秘匿特権が日本の手紙にも適用されるかどうか知りもしなかった。
告訴を免れるために3人の通訳と2人の弁護士を使った。警察が俺を拘束できる期間には限界があることを知っていた。時間切れを狙って、裁判でのいちかばちかのチャンスに賭ける。俺ならただそうした。でも最終的に俺の新しい弁護士が、自白調書の最終稿にサインすることを勧めてきた。ある意味警察と俺との譲歩だった。弁護士は正しかった。

Q. 国外追放だけ?投獄や執行猶予なし?もしそうなら、完全にやる価値があるな。

A. 警察にガサ入れされて、弁護士と大使館以外とのコミュニケーションが取れない状態で4ヶ月半拘留された。それに裁判では府中刑務所での8年間の強制労働が与えられた。栽培の罪で逮捕されたから、なんとか執行猶予5年を付けてもらった。つまりもし他の罪を犯さなければ、判決は執行されずに済む。だがもし何かで捕まったら、何の罪だろうと8年が加算される。
俺が拘置所にいる間、ビザが期限切れになった。釈放された時、入国審査官たちが俺を捕まえて言った。日本から出て行くことも、入国者収容所(別名:約6ヶ月の次の刑務所)に、入国審査と裁判の申し立てのために留まることもできると。
弁護士は裁判をしても敗訴して、いずれにせよ国外退去処分になる可能性が高いと言った。だからそうなるよりもプランBを選んだ。快く日本を離れ、長期間再入国を禁じられることを。

 └・俺は国有林の真ん中に7ヶ月拘留されて、クソつまんなかったわ。外国で拘留されるのがどんだけクソか想像もつかないな。

  └(OP) あぁ。でも心構えはできてたよ。物事が運命を変えるときに、自分がいる場所の法制度を学ばないのは愚か者だ。大使館は俺に本を送ってくれた。幸運にも分厚い本だった。ダン・ブラウンの『天使と悪魔』を1日で読めた。
自分の文化を背負わされているとはいえ、俺は1人の移民として、日本は俺の故郷だ、警察や検察が何を言おうと関係ないという信念を持っていた。日本にいる権利を主張した。日本はガイジンにすごく敵対心を持ってる。俺は日本人が他の国々に移住したらアメリカ人やそこの国の人間と見なされるという立場を取っていた。だから俺の場合も同じだし、大麻は単なる俺の文化の一部で、同じように当然日本の文化の一部でもあるという立場だった。

Q. 大麻使用者に対する日本とアメリカの法的処置はどう違う?

A. 日本はアメリカの法的処置の強化版みたいなもんさ。自白調書は何が何でも苦心して考え出され、裁判は単なるおざなりな見せかけだ。判決が読み上げられたときは本当にショックを受けた。まさか歩き去れるとは思っていなかったから。でもその評決が読み上げられて、すぐに先導されて法廷から出た。そして拘置所に戻って箱の中の私物を全て手渡され、別れを告げられた。

Q. どれぐらい収監されてたの?

A. 4ヶ月半独房にいたよ。週に1、2時間はレクリエーションの時間があって、そのときは上に金網が張られたコンクリートの独房にいた。最悪だったし、孤独に心をクソみたいにもてあそばれたけど、なんとか乗り切れた。
言葉を交わした唯一の人物は、隣の独房のクレイジーなヤクザだった。最後まで彼の名前を聞くことはなかったが、いつも看守が俺たちをレクリエーションのために同時刻に連れ出していたから、廊下を歩きながら手短に話すことができた。彼は俺のタトゥーを気に入り、俺は彼の刺青もクールだと言った。それがほぼ最大限の会話だった。彼はよくクレイジーになった。日々独房をめちゃくちゃに破壊して、看守との長い議論に足を踏み入れていた。俺にはほとんど何を言っているのかわからなかったが、笑えることが多かった。時々彼は俺を笑わせるためだけにそうしてるんじゃないかと想像したよ。
留置場で1番笑えたのは、俺が恐ろしいぐらいの大量のくっせぇウンコをした後に看守たちがやってきて、独房のドアを開けたときだ。空気圧のせいで独房内の空気全部がドアに吸い上げられて、看守が吐き気をもよおし出した。俺は礼儀として謝罪した。でも、あぁ、あれは最高だった。

Q. 留置場内の食事はどうだった?俺はアメリカの刑務所に入ってたけど、特別なものはなかったよ。日本のがどうか興味あるな。

A. 今留置場内にいる間の食事批評日記を読んでる。
◆警察署
朝食:コーヒー牛乳、肉かジャムの入った丸いパン1個
昼食:弁当(美味い。典型的なセブンイレブンの弁当容器に入ったご飯か麺、肉、付け合せの野菜、たいてい漬物)
夕食:セブンイレブンのメインの弁当、小さなパスタか弁当をもう1つ
◆拘置所(詳細は少ない)
朝食:米、納豆かピンクスライム(添加物を入れた加工肉)、たぶんイカの内臓(実はすごく美味い。聞こえは悪いけど、想像よりはるかに美味い)魔法瓶いっぱいに緑茶を入れてもらう。
昼食:たいていは肉、ご飯、野菜の丼。手の込んだものはない。あるときはその肉が犬の肉に見えたと断言しよう。その肉は投げ捨てた。でもおそらく幻覚症状が出てただけかもしれない。
夕食:毎回違った。手の込んだものはない。肉、ご飯か麺、野菜。
他のもの、スナックとかチョコレートとかは願箋(拘置所内で欲しいものや面会を願い出る際に書いて提出する用紙)で買った。

Q. だれが強制送還の費用を払ったの?どこの国に追放されるか選択できた?

A. 自分でチケット代を払った。処理のための待機期間が2日あって、その間は地元警察の監房で過ごした。ゼロからやり直すつもりだったし、それなら多少馴染みのある環境でやりたかった。だからとにかく国に帰るつもりだった。
警察の監房から成田空港へ移されて、そこの留置場に入れられた。そこは他の国外追放者たちの落書きに覆われていた。いろいろなたくさんの言語の落書きに。それは本当にかなり興味深かった。カメラを持っていたらと願ったよ。そこから手錠されたまま空港を歩かされて、乗客全員が飛行機に搭乗した後に俺の私物が客室乗務員に渡され、手錠が外された。俺はまず韓国に飛んだ。パイロットは俺にパスポートをくれて、すごく変な表情をした。でもその時点から俺は自由になった。

Q. また別の国で同じことをやろうと思う?

A. いいや。10年間売人をやった後、俺はついに足を洗った。軽い刑を受けたことを、神からの人生を改めよという啓示だと理解した。だからそうした。

Q. じゃ、今なにやってんの?

A. 生活。美人なガールフレンドと可愛い息子がいる。それともうすぐ大学を卒業するよ。
国に帰って、普通の生活に落ち着いた。奇妙に聞こえるかもしれない。でも本当にアンダーグラウンドな世界は存在する。そこには普通の日常生活からかけ離れた人間たちが存在している。俺はかつて普通の人たちを「Norms」と呼んでいた。ハリー・ポッターの「マグル」(訳注)みたいに。
今は大学の最終学年にいる。かつての俺があんな人間だったなんて、今じゃ誰も思わないだろう。
(訳注:『ハリー・ポッター』シリーズで魔法使いの間で使われる「普通の人間」を指す言葉)

Q. 息子に過去を話すつもり?

A. それは時が来たら直面しなきゃいけない問題だ。俺にはたくさんのタトゥーがあるし(全部消せるが)、いつか息子が何かを理解するだろう。息子の年齢や、俺たちが人生のどの時点にいるかにもよるが、おそらく過去を話すだろう。息子が15、16歳になるまでは日本に戻れるようになるだろうし、俺がどう生きていたか、経験した全てを話して聞かせるのは興味深いものになるだろうな。過去のヤンチャ話を。

(OP)
記憶の小道を辿るのはすごく楽しかったよ。
君達も俺の実用的で無責任なライフスタイルの物語を楽しんでくれたなら嬉しい。
あの頃のノートを数冊読み返して、他にも面白い話がないか探してみるつもりだ。
また明日。

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3
このAMA全体の雰囲気として、大麻解禁に向けて動いている国と日本とでは大麻に対する考え方がかなり違うなとカルチャーギャップを感じました。(←言葉足らずだったようなので補足)

追記:大使館がOPにあなたが初めてのケースだと言ったことからも分かるとおり、日本に来る「外国人」としてはかなりのレアケースですので、そこのところ誤解なさらないよう、ご注意をお願いします。
一般的なケースと混乱して批判しているコメントは削除させていただきます。不適切な言葉を含むコメント、無意味な連続投稿も同様です。ご理解とご協力をお願いします。
なお、コメント削除の際にコメント評価機能が連動してくれず、ズレてしまうようです。しばらく評価機能を停止します。直らなかったら評価機能かコメント欄をなくすかもしれませんが。 

2/7: 直らないみたいです。とりあえずいったんコメント欄閉じました。

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