「翌朝目覚めると、家の周りに一頭の鹿がいた。僕は混乱した」── 餓死する前にと北朝鮮を脱出した1人の青年が、祖国にいた頃の悲惨な状況や、憧れの中国・仇敵と教えられていたアメリカで直面したカルチャーショックの数々を語るAMA!

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元スレ:I am Joseph Kim, North Korean defector and TED speaker. AMA.(2015/06/18)

(OP)
僕はジョセフ・キム。脱北者でTEDトークの講演者。AMA(なんでも聞いて)。

やぁ、みんな!僕の名前はジョセフ・キム。今はアメリカに住んでいる北朝鮮人だ。
1990年代の飢饉で父が餓死した後、母と姉は中国へ行き、僕はホームレスになった。路上生活して、生きるために盗みを働いたり物乞いをしたりしなきゃいけなかった。結局僕は中国へ逃げた。そこでLiberty in North Koreaとつながりを持って、中国を出てアメリカに移住できるよう助けてもらった。養子になった家庭のサポートのおかげで高校を卒業し、今は国際関係の学士号取得に励んでる。

アメリカ移住以来、素晴らしい機会に恵まれた。2013年のTED Global stageでスピーチをしたし、今年は国連でもスピーチをした。今月『Under the Same Sky』という自伝を出版したばかりだ。ここで探して:
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証明:
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(訳注:まずはじめにOPのTEDトークをご覧になることをお勧めします。パソコンの方は下のボタンで字幕を選択できます。スマホの方はこちらでどうぞ)


Q. 生か死かの状況に置かれたことある?

A. 何度も。
子どもの頃の路上生活だけでも。もし物乞いの仕方を覚えなかったら、僕は餓死してただろう。
それに10代の頃に炭坑で働いたこともある。だから、うん、命の危険は何度もあった。

Q. なんで北朝鮮を離れた?


A. 主な理由は、北朝鮮で長く生き延びる望みがあまり無かったこと。その時点で、僕が路上生活するようになってから約3年が経とうとしていた。父のように餓死するか、より良い生活のために脱北に挑戦するか、その2択だった。

ほとんどの北朝鮮人が夜間に中国との国境を越えようとすると聞いていた。だから僕は、2006年2月、昼間に脱出する計画を立てた。豆満江の堤防を滑り降り、摩擦を得るために砂質シルトで靴をコーティングして、凍った川面を対岸まで走って横断した。やり遂げられたのは奇跡だった。
『Christianity Today』によるインタビュー「How I Escaped from North Korea」より

Q. 北朝鮮にいたとき、君は全世界が北朝鮮みたいな生活をしてると思ってた?

A. 幼い頃は、うん。子どもの頃にドキュメンタリーだか、たくさんのドキュメンタリーのクリップ映像だかを見たのを覚えてる。出てくる人たちは貧しい身なりをしていて、食料や飲める水を探すのに苦しんでいた。でもドキュメンタリーのコンセプト、その映像はゆっくりと薄らいでいった。中国では ── 本当に小さな村でさえも、住人はいつも照明を持っていると気づいたことで。対して、僕らは照明を持たなかった。「疑い」始めたとは言わない。でも中国から来た物を認識し始めた。僕ははっきりとわかっていた。中国は北朝鮮よりも裕福だと。

 └・すごく驚いたし、悲しくなるよ。電気がいつでも使えるって理由で自分の国より裕福と言えるなんて。

僕は希望いっぱいで逃げた。もう食べ物を探す苦労はいらないのだと思い込んでいた。中国の人たちが僕に食べ残しを手渡してくれる、ご飯一膳なんか彼らにとってはなんでもないんだ。そう想像していた。

Q. 北朝鮮を去ってから世界について学んだことで、最大のカルチャーショックは?

A. うんと、中国に行くまでは外の世界のことをほとんど知らなかった。一番驚きだったのは、たぶん中国でテレビを見たとき。ダイエットの薬のコマーシャルや広告を流していて ── そんなものを見るなんて、予想だにしていなかったんだ。
それが最大のカルチャーショックだったと思う。完全に孤立した国にいたせいで、情報にアクセスすることができなかった。だから中国行きすらカルチャーショックだった。
アメリカで一番ショックだったのは、おそらく、ここの人たちみんながどんなに違う人生を生きているかってこと。例えば、家族で公園に行くこと。軽食をとったり、バーベキューをしたり、地面に寝転がったり ── 僕はこんなこと想像すらしてなかったと思う。北朝鮮では一度も経験してない。北朝鮮の人たちはそういうことは全くやっていなかったんだ。



Q. アメリカ移住前、中国にはどれぐらいいたの?

A. ちょうど1年。

Q. 自分の身が安全だと感じ始めたのはいつ?

A. おそらくアメリカ大使館で待っていた4ヶ月。中国のアメリカ大使館にいるとき、そこには武装した警備員がいたし、彼らが守ってくれるとわかってたからすごく安心できた。

Q. 中国を訪れた後、どうやってLiberty in North Koreaとつながりを持ったんだい?

A. えぇと、LiNKへは、韓国人宣教師を通じてつながることができたよ。

中国に着くと現実を突きつけられた。僕に分け与えようとする人はほとんどいなかった。みんな僕が食べ残しを乞うことにただイラついていた。すごく混乱した。それは僕が想像していた反応じゃなかった。
数週間後、僕は生きていられるだけの食料をなんとか乞えている状態だった。そのとき、中国に住む年配の韓国人女性が僕に近づいてきた。「本当に申し訳ないのだけれど、あげられるものはなにもないの」彼女は言った。「でもあなた、教会に行くといいわ」彼女は十字のついた建物を探すよう、僕に教えた。 
北朝鮮にいた頃、病院の門に赤い十字があるのを見たことがあった。なぜ十字が教会にあるのかは見当もつかなかった。でも彼女に言われたとおり、ある曲がり角へと向かった。そこには建物がいくつかあった。赤い十字はどれにもついていなかった。 
僕は通りがかりの男性を呼び止めた。「十字はどこにありますか?」そう尋ねた。「上を見なさい」見上げた先には、十字架があった。

Q. アメリカで知って一番驚いたことはなに? 

A. 中国のアメリカ領事館に行ったとき、建物内で車を目にしていた。毎日毎日、あの車を見に行ったのを覚えてる。いつかあの車が欲しいと思った。でもその後アメリカに来て、同じ型のブランド車がタクシーとして使用されていることに気づいた。あれには本当に驚いたよ。あの車が世界最高の車だと思ってたから。
アメリカ行きには期待してた。最終的にニューヨークに行くんだと思いながら。高層ビルがたくさんあって、本当に大きな都市へ。でも結局はバージニア州のリッチモンドに行くことになった。着いて気づいた。僕は森のほぼ真ん中にいる。翌朝目が覚めると、家の周りに一頭の鹿がいた。混乱した。僕が想像してたアメリカは、都会だった。すごく高いビル群があるような。だからそれも驚いた点だった。なにか間違いを犯して別の場所に来ちゃったのかと思ったよ。

 └・クスクス笑ったよ。俺はアメリカのド田舎で育ったからさ。文字通り、森の中だった。鹿や熊が家の側を歩いてることも全然珍しくなかったよ。親父はほぼ毎年鹿を狩って食料にしてた。もしアメリカのもっと田舎や田舎暮らしを体験したことがないなら、いつかやってみることをお勧めするよ。森の中をただ1人で何マイルも何マイルも歩き回るのは、本当に比類なき自由さ。

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Q. アメリカ1年目はどうだった?その時期に味わった文化的な違いとかは?
 
A. えーと、言葉と文化が確実に最大の障壁だった。でも本当に困ったのは、人生でなにをすればいいかわからなかったこと。それが一番難しかった。北朝鮮での僕の日々の夢といえば、食べ物を見つけること、十分な食料を得ることだった。当時はある意味、食料が愛だった。食料だけが僕の夢だった。
でもアメリカに来ることで、食べ物を与えられた。そういう意味で、僕の夢はすでに叶ってしまった。だからその後なにを求めたらいいか、本当にわからなかったんだ。おまけに多くの人が僕に言ってきた。君は自由で、なんでもできるんだ、って。でも誰も自由の意味するものを僕に説明してはくれなかった。
だからそれを自分自身で理解しなきゃいけなかった。新しい友達との出会い、年上の人たちとの会話が僕を助けてくれたように思う。 

Q. 北朝鮮メディアや北朝鮮市民は、韓国のことはどう見てるの?


A. 一般的に言って、北朝鮮人は韓国人を敵とは思っていないと思う。韓国人を愛し、尊敬するべきだと学校で教わるからだ。彼らは政府とともに間違った場所にいるだけだと。韓国政府はアメリカのものだ。だから政治家たちのことは確実に憎んでいた。でも韓国の一般市民に対しては、必ずしもそうじゃなかった。韓国人のことは兄弟姉妹と見なしていたよ。 

Q. 平均的な北朝鮮の国民は北朝鮮政府のプロパガンダを全部信じてるの?金一族は神聖だとか、アメリカは国外のほとんどの世界を支配してるとか、その他にも信じ難いことを教えられてるって聞くよ。こんなこと本当に信じてる?

A. うーん、難しいね。Yesでもあり、Noでもある。
もし最近の北朝鮮国民について聞いてるなら、その大半がプロパガンダを信じているとはちょっと言い難い。でも上の世代は本当に政府のプロパガンダを信じていると思う。1970年代、経済的に言えば北朝鮮は韓国よりもうまくいっていた。でも1990年代の飢饉の後、政府や国が主張するような世界一の国ではないことが事態によって証明された。だって、親友が餓死している時にどうやったらそんなプロパガンダを受け入れられる?だから最近じゃ、国民は政府のプロパガンダに対してもっともっと批判的になっていると思う。今の北朝鮮国民全員がどうしてるかは、僕には言えないけど。

 └・>Yesでもあり、Noでもある。
その説明がよくわかるよ。僕はルーマニア人だ。僕らの国は 1989年12月下旬まで共産主義国だった。いまだに年配の人たちの多くがこう主張してる。「1989年以前の生活は良かった」。古いルール(盗みや騙し)で生きていく方法を学んだ人たちだ。彼らはこの国がとても裕福だった70年代を生きてきた。だから資本主義がどういうものか(働いた分給料がもらえる)が理解できないんだ。
対照的に、70年代に生まれて80年代の飢饉しか記憶にないもっと若い世代は、古いシステムがダメだった理由をちゃんと理解してるよ。

 └・俺はリトアニア人だ。俺の国はソ連によって何年も占領されていた。彼らが去った後、国民たちが恋しがったものがある。みんな自由を手にしていたのに、何をどう始めたらいいかわからなかった。そのせいで、年寄りたちが未だにクソみたいなことを繰り返し言ってるんだ。直訳するならこうさ:「ロシア人がいたときのほうが良かった」。こういう考え方がいまだにここにある。「隣人を信じるな。そいつの家が火事になったら、ビールを持って見物しろ」とかなんとか。ほんと頭にくるよ。でも俺は新しい世代だ。自由なリトアニアに生まれた。未来の世代には大きな望みを抱いてるよ。

Q. もし公衆の面前で金正恩についてなんか言ったとしたら、何が起きる?

A. そういうのは想像すらできない。
実際にそういうことが起きたって話を耳にしたことは一度もないよ。僕に想像できるのは、公開処刑か強制収容所送りかだけだ。

Q. 君が北朝鮮にいた頃、政治犯収容所の存在を知ってた?もしそうなら、どんなことを知ってた?

A. 第22号管理所のことは聞いたことあったよ。故郷の町に近かったから。でも囚人たちが直面してる厳しさや苛酷さのレベルについては、全然知らなかったし、気づいてなかった。政治犯収容所は北朝鮮そのものよりもさらに孤立した存在だ。だから多くを知らなかった。実はアメリカに来てから知ったんだ。他の脱北者や強制収容所から生還した人たちから。

完全統制区域
刑罰に例えるならば、ここは仮釈放の機会がある革命化区域とは違い、
仮釈放の機会すらない終身刑に処せられた政治犯たちの収容所である。ここでも、幹部に見初められた役付収容者による暴力・搾取が行われる。支給品が滞る事が多く、その場合は服や靴すら自分たちで作り出さねばならない。収容者の栄養状態は悪く、雑草や鼠を食べる事が日常化している。疾病にかかった収容者は、収容所内にある病院で治療を受けることができるという建前があるが、その実態は国家安全保衛部に所属する医師団の判断で「治験」と称する各種の人体実験を受けるか、あるいは治療もされず病院と称される隔離バラックに押し込まれ死を待つばかりである。死んでも刑墓に埋葬されるわけではなく、田畑の奥深いところに肥料として埋められるか、近くに掘られた穴に適当に埋められたり、収容所の警備用に飼育されている軍用犬の餌にされる始末である。
現在の“完全統制区域”は、第14号、第16号、第18号、第22号、第25号の5箇所であるとされている。
Wikipediaより



Q. アメリカに移住後、他の北朝鮮人と会う機会があったのかい?

A. うん。
知ってのとおり、アメリカはとても大きな国だ。だから直接会うのはなかなか難しい。でも電話やソーシャルメディアを通じて連絡を取り合ってるよ。

Q. 北朝鮮で起こっているどれだけのことが秘密にされてる?

A. たくさん。僕が言いたいのは、特に西側メディアの報道の中で。とても多くの政治的争いや問題がある。ほとんどが指導者について。でも重い問題の陰で本当に見落とされていることがあると思う。僕自身のような、より良い生活への夢と希望を持った人たち、幸せになりたい人たちがそこにいる事実は忘れられがちだ。重大な問題のせいで、僕らはときどき北朝鮮の普通の市民の存在を忘れ、彼らと繋がりを持ったり、共感したりできなくなる。深刻な問題のせいで。 

Q. 北朝鮮の子どもたちは、ヨーロッパの国々についてどんなことを学ぶ?学ぶことの大半は日本や中国や、韓国やアメリカについてだって知ってるよ。けど、ヨーロッパの国に対する北朝鮮人の見方については、本でも記事でも見たことがないんだよね。ヨーロッパ人のステレオタイプとかある?

A. えぇと、僕の経験からでは、中学高校には行かなかったから、高校でヨーロッパについて学ぶかどうかわからないんだ。
でもヨーロッパに対して、北朝鮮人はすごく限られた概念やイメージしか持ってないと言えるよ。北朝鮮政府は日本とアメリカがどれほど悪い国かをものすごく強調していて、ヨーロッパについてはほとんど情報がない。ヨーロッパ人のステレオタイプがあるとすら思えないよ。
例をあげると、中国にいた頃、アメリカ行きを提案されていたから、僕はもっとアメリカについて学びたいと思っていた。それでアメリカ映画を探そうと思ったんだ。アメリカについて学ぶために。でも映画は中国語版で、僕には理解できなかった。そしたら中国人の友だちがやってきて、「なにしてんの?」と僕に言った。僕が「アメリカについて学ぼうとしてるんだ」と答えると、彼は言った。「えーと、それドイツ映画だぞ」僕がどれだけ知識を持ってなかったかってことだよ。それがアメリカ映画だと思っていたんだ。白人の俳優たちが出ているから、という理由で。 

Q. 北朝鮮の闇市場で西洋や国外のメディアやエンターテインメント(DVDとか、映画とか、新聞とか)を手に入れることは難しいのかい?

A. 僕は最近の北朝鮮で生活してないから、今が実際どうかは言えない。けど最近の脱北者から聞いたところによると、国外メディア、特に韓国のドラマや映画へのアクセスは以前よりも簡単になっているそうだよ。数十年前と比べたら確実に手に入りやすくなってる。だから状況は良くなってきていると言えるよ。



Q. アメリカ人が北朝鮮に対して抱いている誤解がなにかあるかな?

A. 北朝鮮と韓国の違いを知るアメリカ人は近年まで多くはなかった。だからたくさんの情報が見逃されていると思う。平均的な北朝鮮の家族の生活様式に関する情報が。
僕らが「北朝鮮」について話すときは、核兵器や共産主義や独裁制が話題だ。そういう事柄を強調するのは重要だけど、同時に一般市民の影を薄くしている。北朝鮮の男性は、17か18歳になると国のために義務として徴兵される。だからある意味、ほとんどすべての平均的北朝鮮家庭がある程度軍に拘束されている状態なんだ。
僕が北朝鮮にいた頃、約9年前に、多くの人が職を失った。彼らは何をしていいか全くわからなかった。たくさんの人が失業者になった。僕が思うに、あれは混乱だった。政府に定められない人生で何をすべきか、市民が考え出そうとしていた瞬間だった。

 └・>北朝鮮と韓国の違いを知るアメリカ人は近年まで多くはなかった。
うーん、驚かないよ。アメリカ人の多くはスイスとスウェーデンの違いも知らないからね。

Q. あの政権下での生活から一番長く受け続けてる影響は何?

A. 悪夢。でも実はある意味僕を助けてくれてるんだ。ときどきアメリカでの生活がどんなにありがたいか忘れてしまうことがあるから。悪夢を見るといつも思い出す。自分がどこから来たのかを。だからそれが一番続いてる影響。
それにアメリカにはこんなにも大量の食料があると知ること。なのにたくさんのホームレスの子どもたちにそれを届けられずにいる。彼らは僕がたった8年前に暮らしていた生活に今も置かれている。だから自分がなんの助けにもなれないことももどかしい。

Q. 国際関係を学んでるってことは、君はおそらく世界を大きく変えたいんだろう。子供たちがかつての君と同じような過酷な状況で育つのを防ぐために、君は何をする?

A. えぇと、おそらく知ってるだろうけど、大学の研究はツールをいくつか与えてくれるだけなんだ。僕は北朝鮮を一夜にして今より良い国に変える解決策を持っていないと思う。でも信じてるんだ。僕がいつか権限を与えられて、そういう問題を乗り越える助けになるのは教育だって。けど今のところは、あまり光明が見えてない。僕にできる唯一のことは、いつの日か北朝鮮が過去のものとなったときの備えを確実にすること。教育によって。

 └・素晴らしい意見だ。僕も世界が抱える問題の大半は教育によって解決できると心から信じているよ。
 
Q. 脱北者だと公表することで起こる反響を心配してる?

A. もちろん。というか、Noとは言えない。北朝鮮政府は正気な人ならやらないことでもやるぐらいクレイジーだってことは分かってるから。今の時点で、アメリカにいる僕が祖国の人たちにできる唯一のことは、自分の身の上話の公表だけなんだ。

Q. なにが君を前進させ続けた?ずっと君に希望を与えていたものはなんだった?

A. 僕の唯一の希望は姉との再会だった。そして僕を動かし続けていたものは、いつか姉が戻ってきて、僕を見つけてくれると信じる気持ちだった。それがまさに僕を前進させ続けた希望だった。

Q. 僕らが生きてる間に北朝鮮の解放を見られると思うかい?

A. そう願うよ。それに希望を持ってる。さっきも言ったとおり、北朝鮮市民はどんどん政権に批判的になってきていると思うんだ。活動も以前より自主的になり始めてる。以前は政府がやれと言ったことをやっていたのに。だから北朝鮮の国民が政府の誤ちにもっと気づくことを願ってる。
希望があると感じる理由は他にもある。北朝鮮政府は闇市場を踏みつけるほどバカじゃない。でも闇市場は市民の目を覚ます原動力だ。だからいつかの時点で、政府は国民に歩み寄らなければならなくなるか、なにか考え出さなければならなくなるだろう。底からの、国民からの圧力がかかってくる。政府がそれにどう応えるかはわからない。僕はみんながもっと状況に気づいて、政府に圧力をかける勢力を得ることを願ってる。

Q. 北朝鮮の人権問題解決をアシストするために、世界の僕らはなにをしたらいいと思う?

A. 僕に勧められるのは、反応を返すことだけ。状況を知ることだと思う。情報が問題解決の鍵だと思うんだ。北朝鮮の市民が直面している過酷さや苦痛を知る人は少ないと思う。だからそれを知ることがおそらくはじめの第一歩だ。情報源はたくさんある。ここには情報の自由があるから、平均的な北朝鮮市民の生活に関するたくさんのドキュメンタリーがある。それがどんなに厳しいものか、YouTubeの短いクリップ映像からでさえ多くの情報が得られる。僕は情報がみんなにこの問題に反応する気を起こさせることを願ってるよ。

Q. 北朝鮮のなにが恋しい?

A. 恋しいと思ってるものは確かにあるよ。友達が恋しいし、故郷も恋しい。あそこにはとてもたくさんの思い出がある。故郷の川で泳ぎを覚えた。遊びで登った山々もある。本当に恋しいのは、裏庭の梨の木だ。北朝鮮に戻ることはないけど、もし戻ったとしても、「あぁ、ここが僕の家だ」とは言えないだろう。家族のほとんどがもうそこにはいないから。でも僕が植えたその梨の木を見れば、きっと思い出がこみ上げてくると思う。  

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小学校の教育しか受けておらず英語もわからなかったのに、アメリカの高校で成績優秀者になって大学へ進学するとは、本当に本当に大変な努力を要したことでしょうね。
お姉さんお母さんと、近いうちに無事再会できることを願います。

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