「深夜に起きたら舌全体がうずいていたのを覚えている。監督者にそれについて尋ねたら、『ウォッカを飲め。心配するな』とだけ言われたよ」── チェルノブイリ原発事故後に緊急対応作業にあたったウクライナ人男性によるAMA(なんでも聞いて)!

元スレ:IamA Emergency Responder who was at Chernobyl following the disaster AMA!(2016/04/30)

(OP)
私はチェルノブイリ原発事故後の緊急対応員だった。AMA(なんでも聞いてくれ)!
略歴:ジトームィルで妻と息子と一緒に暮らしている。チェルノブイリ原発事故後の緊急対応を行った1人だ。
証明:プリピャチの施設と周辺地域での作業を終えた1年後の9月に受け取った証明書。
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(↑クリックで大きい画像へ)

(OP娘婿)
このAMAを義理の父と一緒に行うよ。彼はウクライナのMHC(政府の緊急時対応部隊)で30年以上働いている。僕が通訳して回答をアップするよ!

プリピャチは、ウクライナの北部にある市である。1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所事故によって住民が避難したため現在は無人となっている。なお、同じく事故の影響を受けたチェルノブイリは少数の(主に年老いた)住民が余生を過ごすことを望んだため完全に無人にはなっていないが、プリピャチはチェルノブイリよりも原子力発電所に近かったこともあって無人となり、郵便番号も消滅し現在は割り当てられていない。
Wikipediaより



Q. ヨハネの黙示録に「ニガヨモギ」という地について書かれてることを知ってる?

A. 知らんよ。

(訳注:チェルノブイリはニガヨモギとよく似た植物の名で、ヨハネの黙示録にニガヨモギという星が落ち多くの人が死ぬという預言があることから、原発事故は預言されていたと喧伝する人たちがいたそうです)

Q. あの大惨事が起きている最中の政府発表情報はどれぐらい信用できた?


A. 事故についての政府発表は、覚えている限りなにも無かった。なにが起きたか全く知らされていなかった。パレードに行くようにとさえ言われていたんだ!

Q. 事故が起きた当日の記憶は、どのぐらい鮮明に残ってますか?


A. 私たちは何が起きたのかわかっていなかった。全く何も知らなかったんだ。
上官から電話を受け、隊がキエフの北の街へ動員される予定だと言われたのは、事故から数日が経った後だった。

Q. あなたは職掌上対応せざるを得なかったんですか?


A. あぁ、輸送トラックをあのエリアまで走らせるのが私の仕事だった。
男たちの集団も輸送したよ。

Q. 原発事故後の作業のせいで、今なにか健康上の問題がある?

A. 「あるとは思わない。あの一年後に歯をたくさん失ったが、どうということはない。
癌で死んだ同じ隊の仲間は数人いた。署内には彼らに捧げる壁画があるし、屋外では毎年市長が彼らの栄誉を讃えるため花輪を捧げているよ」

└・一年後に歯をたくさん失った
ヒェェェエエエェ!
が、どうということはない
えぇと、僕がつま先を刺したとき弱虫みたいに泣き叫んだことはOPには内緒にしておいてくれ。

└・たくさんの歯を失って、どうってことないとは……この男、とんでもなく冷静だな。

Q. 作業後に健康状態をモニタリングされた?プリピャチとチェルノブイリで被爆したことによる健康被害への補償はある?他の人についてはどう?そこにいたせいで、君から被爆することを恐れた無知な人たちから差別を受けた?長崎や広島の被爆者たちみたいに。


A. 「いや、そういうものはなかった。私は30km圏内にいた。だから直接原子炉から被爆したわけではないし、施設を目の当たりにしたわけでもない。
大きな健康被害は経験していない。歯が抜け落ちたこと以外は。だがある日、Byla Circvaから助手席に乗せていた男が朦朧とし始めたことがあった。車を止めると、彼はトラックのタイヤと車両の間にもたれて気絶した。水をかけて起こしても、心ここに在らずの様子だった。結局彼はキエフの病院へ送られた。その後彼がどうなったかはわからない」

Q. あの災害にあなたを送り込んだ機関を恨んでる?

A. 「いや、それが私の仕事だ。火事や爆弾と同じだよ。危険な仕事だ。そのために私たちがいる。洪水が起きれば、私たちが行く。爆弾があれば、私たちが行く。放射性物質があれば、私たちが行く。仲間を数人失ったがね。いい奴らだった。
ソビエト連邦が崩壊した後、ウクライナ政府はあそこにいた人たちに多くの報酬をくれた。子どもたちは無料で交通機関を利用することができた。あの悲劇下の子どもたちだったから」

(OP娘婿)
爆弾については、不発弾のことを言ってるんだ。ウクライナ中に第二次世界大戦の不発弾が眠ってる(爆弾、地雷、手榴弾、などなど)。発見されたときにそれを廃棄する貯蔵所へと輸送するのが義父の仕事の一部なんだ。
それと、僕がアップした証明書の破れは興味深いよ。義父の名前の大部分がちぎれている。これはチェルノブイリに「行かなかった」仲間数人が、義父にお金を払ってこの証明書を借りたからなんだ。そうすれば、彼らも義父と同じくチェルノブイリ手当を申し込むことができたから。
無料の交通機関は「チェルノブイリ・チルドレン」と呼ばれる特定の年齢の子どもたちにカードとして与えられた。それを提示すれば交通機関やその他のサービスが無料になったんだ。


Q. そのエリアにはどのくらいの期間いたの?男たちを乗せて行って、そこに着いてからは何をしてた?

A. そこへ行ったのは2度。1度目は男たちを乗せて運転して行って、数日間滞在した。2度目は7月から8月にかけて、24日間をそこで過ごした。鎮火用の砂をトラックで運搬していた。

Q. 損傷した原子炉の上の空気がイオン化されて、「青い光」の柱が見えたって主張する人たちがいる。数日間見られたって。あなたも何かそういうものを見た?

A. 「そういうものは一切目にしてないね」

└・注釈:詳しく知りたい人へ。それはチェレンコフ放射と呼ばれるものだ。

チェレンコフ放射(チェレンコフほうしゃ、Čerenkov radiation、Cherenkov radiation)とは、荷電粒子が物質中を運動する時、荷電粒子の速度がその物質中の光速度よりも速い場合に光が出る現象。
チェレンコフ光の例としては、原子力発電所の燃料が入ったプールの中で見える青白い光がある。東海村JCO臨界事故チェルノブイリ原発事故で「青白い光を見た」と作業員が言ったので、臨界事故の確認がとれた。
Wikipediaより 

Q. 君のアソコが興奮したら、サイリウムみたいに青く光るわけ?

A. 「We are Ukrainian Nation, we fuck radiation.」

(OP娘婿)
ハハハ、彼の回答はウクライナ語でも同じように韻を踏んでたよ。

└・10点中10点。

└・今年のベストアンサーかも。

└・ウクライナ人=ロック。ポーランドの妹より愛を込めて。(うちのおじいちゃんはウクライナ人だったけど!)

Q. 事故に続いて起きた出来事で、なにか特に記憶に残っていることがある?

A. 「チェルノブイリでは自分が何をやっているのか見当もつかなかった。私たちは長い間何が起きたかを知らなかった。そこにいたのに、何が起きたのかよくわかっていなかった。他の任務より危険だとは思いもよらなかった。ただの爆発と火災だと思っていたんだ。
だが5月9日のことは鮮明に覚えているよ。みんなが通りに出ているのを見た。パレードを見た。家族と一緒に楽しい時間を過ごした。退役軍人たちを讃えた。何が起きたか知った後は信じられなかった。政府が全員を外出させたこと、パレードを続けさせたこと、子供たちみんなを外に出させたことを」

(OP娘婿)
彼は5月9日の戦勝記念軍事パレード、ソビエト連邦で第二次世界大戦の終結を祝う大きな祝祭のことを言っている。老若男女、全員が参加することになっていた。彼も奥さんも、たいていそのことに一番憤慨してるんだ。恐ろしいことが起きていると責任者たちが知りながら、それでもパレードや野外イベントを決行したってことに。

Q. 大惨事の影響を目にして、その後なにか自分の中で成長した部分があった?

A. 「癌とかかい?」

 └(質問者) じゃなくて、精神的な面で。

  └(OP) 「いや、なにもなかった。私たちはあそこから遠く離れて生活していたし、幸運にもあの数日間、風はこちら側に吹いてはいなかった。全てが起きた後1年かそれ以上経つまで、私たちはあまり何も考えていなかった。何が起きたか知らなかっただけだ。わかっていなかった。
現地を訪れた時、空き地にはテントが建てられていた。私たちの寝場所だ。木枠に入ったウォッカがあった。深夜に起きたら舌全体がうずいていたのを覚えている。監督者にそれについて尋ねたら、『ウォッカを飲め。心配するな』とだけ言われたよ」

   └・1999年に、俺はカザフスタンであるダイヤモンド採掘業者と一緒に働いた。彼は原発事故の数ヶ月後に、高放射性の何かに穴を空けるためにチェルノブイリに送られた経験を話してくれた。そこで彼ら作業員は防護服に身を包み、たった1時間かそこらだけ働いて、作業後に防護服はゴシゴシ洗浄されて、こう告げられた。君たちは十中八九死ぬ。ソビエト連邦は君たちの犠牲を忘れず、残された家族の面倒をしっかりみる、と。彼も木枠に入ったウォッカを与えられたと言っていたよ。作業員はずっと、完全にベロンベロンに酔っ払ってたそうだ。彼が一緒に作業した仲間たちのほとんどは、半年〜4年以内に亡くなったらしい。

Q. 舌のしびれ以外にも、何か「奇妙な感覚」を他に経験した?

A. 「あそこでの最初の晩を過ごして朝に目覚めたとき、まるで人生最悪の二日酔いのような気分だった。酒を口にしていないのに。奇妙だった。だが舌のしびれ以外に思い出せる感覚はそれだけだね」

Q. 事故直後の対応よりも、あの事故自体から受けた情緒的・精神的なトラウマのほうが大きかった?

A. どうしてアメリカ人ってのは、いつも精神的なトラウマについて尋ねるんだ?なんのトラウマだ?私は大勢の男たちと一緒に、トラックを運転し、野営をし、山ほどの重機を街から街へ移動させただけだ。私はなにも知らなかった。それでどうやってトラウマを負うっていうんだい?

└・ハハ、この回答最高だね。答えてくれてありがとう。

Q. 他の人たち、上の人や君の周りの同僚は、本当は何が起きているのか知っているようだった?

A. 「監督者たち、将校たちは、間違いなく何が起きているかを知っていた」

Q. 事故当時、管理者はロシア人で、労働者はウクライナ人だったの?ウクライナは占領された国って心境だった?当時のポーランド人みたいに?

A. 「それほど単純なものではなかった。ウクライナは常にロシアやポーランドと深い関係にあった。ウクライナの一部はポーランドとロシアの一部だ。ソビエト連邦時代には、ロシア人、ベラルーシ人、ウクライナ人、あらゆる人々がいた。私たちは常に非常に強い愛国精神を持っていた(ウクライナに対して)が、占領下にあるとは感じていなかった」

(OP娘婿)
彼の話ぶりにはアメリカ南部を思い出させられる。独立の歴史を持っているけれど、その歴史にもかかわらず、100%アメリカ合衆国民である人たちのことを。彼がウクライナを「占領された」という感情をたぎらせたのは、ソビエト連邦崩壊後の腐敗した指導者たちに対してだけだった。「ロシア」への怒りは、汚職や少数独裁政治や未来を自己決定できない無力が引き出す怒りに比べたら少ないみたいだよ。

Q. スターリン政権下を生きていた人として、今の私たちが抱える問題を解決するために資本主義から社会主義へ変わるべきだと主張する人たちへなんと言いますか?

A. 「私はスターリンが死んだ年に生まれた。父母はスターリン政権下で生活していたがね。両親は戦時中ウクライナに逃れ、のちに収容所へ送られた。彼らにはとても辛い体験だった」
「ソビエト連邦時代には良い点もあった。私たちは自分たちの土地を持っていたし、教育と医療は悪くなかった。無料の教育と医療があることは良いことだ(医療は今もウクライナでは「無料」だ)。重要だよ。私は子供時代より今の方が好きだがね」

Q. どの政府機関も実際に起きていることを誰にも知らせず、口を閉ざしていたのはなぜだと思う?

A. 「パニックを引き起こしたくなかったんだろう」

Q. 原子炉がとんでもないことになってると、ついに知ったときのみんなの反応は?

A. 「恐れた。だがとてつもなく大きなパニックは起こらなかった。私たちは問題に慣れているし、強い。チェルノブイリに関する番組をやっていたのを見たが、平均的国民にはさっぱり理解できなかった。それが私たちの直さなければいけない問題だった。事故に対する世界の反応を見て驚いたよ」

Q. 真実を隠蔽されたことへの大衆の怒りがソビエト連邦の崩壊に貢献したと思う?

A. 「いや、そうは思わない。ソビエト連邦は崩壊するべくしてした。チェルノブイリがそれほど大きく影響したとは思わない。いずれにしろ起きることだった」

Q. 今の原子力についてあなたたちはどう思ってるの?

A. 「原子力を持っていなければ良かったのにと願っている。だが電力を得るために必要なものだ。原子力にはたくさんの益がある」

Q. 緊急時対応ユニットに所属していることで、いろんな壊滅的状態を目にしてきたと思いますが、チェルノブイリはその中でも最悪でしたか?他にもっとひどい状況がありましたか?

A. 確実に、私の経験上チェルノブイリが最悪だった。これまで対応しなければいけなかった中で最も危険だった。

Q. 現在もチェルノブイリやプリピャチで作業を続けている人たちに会うために、あそこへ戻ったことがありますか?あるいはキエフのチェルノブイリ博物館へ行ったことがありますか?

A.「チェルノブイリへはあれ以来戻っていない。行くわけがないだろう?」

Q. なにかの理由で今後チェルノブイリに再度訪れるつもりはある?

A. 「ないね」

(OP娘婿)
初めて妻と一緒にウクライナに行ったとき、僕は義父にプリピャチに行けるかどうか尋ねたんだ。彼は「気でも狂ったのか?」という目をして、本当に深刻な声で僕に聞いた。「地獄に行きたいと思うような愚かな真似がどうしてできるんだ?」って。

Q. 立入禁止区域は30km圏内より広げられるべきだと思う?放射性物質の降下にムラがあったことを考慮して。

A. 「今何が起きているかはよく知らない。事故直後はいくつかの立入禁止区域があった。私は1度目は70km圏内で、2度目は30km圏内で作業した。立入禁止区域の範囲は問題ではないと思う。風が放射性物質を運んだからだ。私の市に危険はなかった。だがベラルーシには多くの犠牲者が出た。距離の問題ではなかった」

ベラルーシでは放射性降下物の70%が国土の四分の一に降り、50万人の子供を含む220万人が放射性降下物の影響を受けた。ベラルーシ政府は15歳未満の子供の甲状腺癌の発生率が2001年には1990年の2000例から8,000-10,000例に急激に上昇したと推定している。
Wikipediaより

Q. チェルノブイリのドキュメンタリーを見たよ。あの事故に関する僕の記憶は曖昧だ(当時5歳だった)。未だに立入禁止区域から離れることを拒んで、リスクを抱えて生活している人がいることに驚いた。彼らを気の毒に思う。彼らの町は一瞬にして見捨てられた。でも2、3人の人が30年後も元気に生きている。あなた個人の意見としては、少なくとも立入禁止区域のギリギリに市民が戻って生活すると思いますか?

A. 「あそこに残っている人がいることには驚かない。放射能に関してはたくさんの誇大広告がある。タバコを吸って癌になる人もいれば、ならない人もいる。被爆して癌になる人もいれば、ならない人もいる。誰がなるかは誰にもわからない」

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(OP娘婿)
みんな、質問してくれてありがとう。もらった質問にはランダムに答える。君たちに関心を持ってもらえて僕ら喜んでるし、君たちの役に立つものをシェアできたらうれしいよ!

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1We are Ukrainian Nation, we fuck radiation……日本語訳するのは無粋かつ不可能だと思ったのでそのまま載せました。

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