今回はナチス政権下のドイツに生まれ、第二次世界大戦を生後から終戦まで体験した元第三帝国民の女性によるAMA(なんか質問ある?)。当時幼い子どもだった彼女の目に映った戦争とはどんなものだったのか。終戦後に彼女がとった驚きの行動とは—。

(OP)
私はヒトラーの第三帝国時代の元ドイツ市民よ。1936年に生まれて、1956年までそこに暮らしていたわ。AMAA(ほとんどなんでも聞いてちょうだい)。

孫からの注意書き:
・僕が祖母の代わりにタイピングしている。 
・祖母は歴史マニアじゃない。それに祖母がは当時とても若かった。
(訳注:第二次世界大戦は1939年から1945年なので、OPは当時0~9歳)
・ヒトラー政権下の幼年期がどんなものだったか……住んでいた町はほとんど毎日爆撃されていた。話はそこからはじめよう。

証明:
彼女がアコーディオンを弾きながらドイツ語で歌っているところ。 

証明2:
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関連記事:【洗脳とプロパガンダ】元ヒトラーユーゲントメンバーだけど、なんか質問ある?【ナチスドイツの市民生活】

Q. こんにちは!当時何が起きているかどれぐらいわかっていましたか?
それと、ナチス政権下での子どもたちの楽しみはなんでしたか?

A. 爆弾が落とされていることがわかっていたわ。多くのことを知ってたわよ。学校にいたときに、ケツみたいな家に逃げてトラブルになったわ。みんな地下室にいなきゃいけなかったのに。何が起きているかは知っていたわ。
みんなゲームをするのが好きだった。でも門限があったの。えぇと門限はアメリカ人がやってきたあとに作られたのよ。私と兄と兄の仲間の男の子たちで不発弾を見つけて火薬を瓶に集めたわ。私がやる前に、兄は私のケツを蹴らなきゃいけなかったけど。


 └・罵り言葉をたくさん使うばあちゃんだな。素晴らしい。

 └・彼女はドイツ人だから。(ソース:うちのばあちゃんはドイツ人で、サミュエル・L・ジャクソンばりに罵り言葉を使う)

 └・ドイツ人の友だちがいるドイツ人だよ。僕らの母親は水兵なみに罵り言葉を使うよ。

  └・おそらく英語における多くの「罵り言葉」は、ドイツ語ではあまり攻撃的な言葉じゃないからだろう。

Q. ドイツが恋しいですか?

A. いいえ、もう恋しくないわ。両親が亡くなったからじゃない。あそこは変わってしまったの。アメリカの方が長くいるし、どうしてドイツを恋しがる必要があるかしら?
 
Q. ナチスドイツ政権下でのヒトラーに対する一般的な感情はどんなものでした?

A. 家族は彼を大嫌いだった。他の人のことはわからない。兄は違っていた。ヒトラーを素晴らしい人だと思っていたわ。兄は1週間行方不明になったことがあって、母たちと映画を見に行ったときに、兄がニュースの中でヒトラーユーゲントと一緒に行進しているのを見たの。母は死にそうになってたわ。兄は1週間家に帰らなかった。その後の兄はヒトラーと関わりがなかったわよ。兄と兄の友だちがベルリンにヒッチハイクしたあのときだけ。

 └・回答ありがとう。この質問はあなたが答えたくない類いのものだと思います。少なくとも僕の家族は祖国に影響した独裁政治について話したがらない。

  └・2年前にドイツを旅した。君は驚くと思うよ。ドイツ人たちがどれだけ第二次世界大戦についてオープンに話すか知ったら。とりわけ、ビールを2、3杯呑んだ後ではね。

   └・ヒトラージョークを聞いたときはちょっとショックだったな。何人かの友だちがそういうジョークを言うんだけど、僕は笑うのを恐れた。面白かったけど、同時に笑えないジョークだったから。

Q. 僕の祖母はあなたより少し年上だけど、「ヒトラーは年寄りにはよくしてくれた」っていつも言ってるんだ。同意する?

A.  いいえ。とんでもない!

Q. ゲシュタポと彼らに連れ去られることへの恐怖はどのぐらいありました?町の誰かが「尋問」のために連れて行かれるのに気づいていましたか?
ゲハイメ・シュターツポリツァイGeheime Staatspolizei、秘密国家警察、通称ゲシュタポ、独:Gestapo[# 1])は、ナチス・ドイツ期のプロイセン州警察、のちドイツ警察の中の秘密警察部門である。 1939年9月以降は親衛隊の一組織であり警察機構を司る国家保安本部に組み込まれた。
Wikipediaより

A. えぇ、怖かったわ。彼らは意地悪だった。ヒトラーの右腕よ。彼らは黒い制服を着ていた。もし彼らがあなたの元を訪れることがあったら、自殺した方がマシだと思うわ。

Q. ヒトラーに対する憤慨の気持ちを押し殺す必要をかんじましたか?

A. えぇ、そうね。「ハイル・ヒトラー!」(ヒトラー万歳!)と言わなければいけなかった。知ってる誰かが通りがかるたびに。もし相手が意地悪なら通報されてしまうから。母はヒトラーユーゲントに兄を行かせようとしなかったのだけど、そのせいでピンク色の紙切れをもらったわ。その紙を3枚もらったせいで、母は牢屋に入れられた。そのときは1日しか投獄されなかったけど。叔母がお金を払ったから。

Q. どっちをより怖がっていましたか?ゲシュタポ?連合国の爆撃?


A. 爆撃、だと思う。ゲシュタポは私たちの町には来なかった。ゲシュタポからなら逃げられるけど、爆弾からは逃げられないわ。

Q. こんにちは。:) ナチスと意見が合わなかった家族や友人たちをそれが原因で失ったことはありましたか?

A. ないわ。でも連合国が爆弾を落としたときにたくさんの親戚が死んでしまった。2人の祖父も。しょうがないことね。連合国側もそうしなきゃいけなかったのよ。

 └・とても深く公平な意見だと思います。ありがとうございます。

  └・まったくだ。愛する人たちが殺されたのに、そのことを許している。なんていうか……ワォ……彼女は素晴らしい人に違いない。

Q. 子どもの頃に日本人についてどんなことを教えられていましたか?民族浄化に重きを置いていた政府が異なる人種の国と同盟を結んだことは奇妙に見えますが。


A. 政府は日本人についてなにも言わなかった。覚えていないわ。もし彼らが何か言っていれば覚えてると思うけど。

Q. ロシア軍の振る舞いに関して恐ろしい噂話がありました。もしあなたの町が侵略されるとしたら、どの国に最初に来てほしいと思っていましたか?そんなことが起こると考えたことはありましたか?


A. ロシア軍のことは話していたわ。彼らが女性たちの胸を切った後に犯すって。みんなが話してた。そのことを覚えてるわ。それがアメリカ軍が来て私たちが喜んだ理由よ。ロシア軍じゃなかったから。

 └・同じ頃にドイツに住んでいた僕の祖母も同じことを言っていた。祖母はロシアがしばらく町を占領した後、アメリカが後を引き継いだときに喜んだそうだ。

 └・アメリカは世界でベストな国じゃないだろう。(くそっ、どこにそんな国があるってんだ。)でも少なくとも俺たちは、残虐行為によって影響を受けた多くの人たちにいくらかの希望と保護を与えることが出来た。

  └・爆弾奇襲攻撃をやったことを除外すればな。ドレスデンはアメリカが爆弾を落とした顕著な例だ。
ドレスデン爆撃(ドレスデンばくげき、英: Bombing of Dresden)は、第二次世界大戦末期の1945年2月13日から15日にかけて連合国軍(イギリス空軍およびアメリカ空軍)によって行われたドイツ東部の都市、ドレスデンへの無差別爆撃。 4度におよぶ空襲にのべ1300機の重爆撃機が参加し、合計3900トンの爆弾が投下された。この爆撃によりドレスデンの街の85%が破壊され、2万5000人とも15万人とも言われる一般市民が死亡した。 「東からドイツに攻め寄せるソ連軍の進撃を空から手助けする」という一応の名目はあったが、実際は戦争の帰趨はほぼ決着しており戦略的に意味のない空襲であり、ドイツ空軍の空襲を受けていたイギリス国内でも批判の声が起こった。
Wikipediaより 

  └・ロシア人たちがどうしてそんな振る舞いをしたのか心に留めておけ。ドイツの軍人たちは東側の敵を人間以下のものと見なすことを教えられていた。だからドイツ兵士は見境を無くしていたんだ。彼らは罰せられること無く東側の人間を殺し、犯し、略奪した。
平均的なロシアの徴収兵は完全な憎悪と報復への渇望によってその行動を動機づけられていた。彼らは物事の道義に関心が無かっただろう。むしろどうしてそうしなきゃならない?いいや、彼らはドイツの残虐行為のプロパガンダ(その多くは真実)によって逆上させられ、ドイツの民間人に復讐を遂げるように煽り立てられた。ドイツ市民はその原因となる罪を犯していたか?もちろん違う。だがそれは怒りに駆られた徴収兵たちにとっては関係のないことだった。
ドイツ兵士がイギリスやフランスの市民にはロシアの市民に対するよりももっとましな対応をしていたから、イギリスやフランスの兵士たちはドイツ市民に対してロシア兵士たちよりもましな対応をした。そのうえ、彼らは敵を苦しめるよりもマシなものによって動機づけられていた。
それから、アメリカの市民たちは決して多くの危険下に置かれることは無かった。アメリカの都市は爆撃されず、包囲もされなかった。だからアメリカの兵士たちには復讐する理由が無かった。このコメントで誰のこともかばうつもりは無い。単に状況を説明しているだけだ。もしボストンかニューヨークが残虐に虐げられたら、俺たちは敵に対して同じぐらい残虐行為を行ったと強く思っている。

   └・日本軍の風船爆弾が1945年にオレゴン州で6人の市民を殺したよ。

    └・たしかその祈念碑があったはずだ。

   └・その意見は全くの間違いだ。君はただソビエト兵のために間違った弁解をしただけさ。
ソビエトがポーランドに侵攻した時全く同じことが起こった。殺人、強姦、略奪(特にこれ!)を俺たちポーランドにやった。俺は祖母からソビエト兵の残虐行為についての話をたくさん聞いた。君は信じさえしないだろうけど!で、俺たちが彼らになにをやった?何もしていない。
戦後、チャーチルとルーズベルトがヤルタでスターリンに東ヨーロッパを売った時、その恐怖は継続された。お次はスターリンの恐怖政治さ。NKVD(内務人民委員部)は公安部を組織管理し、何の罪も無い人々を拷問にかけて殺したんだ。それはポーランドの戦後史上最も闇に包まれた時期で、全てがソビエトによって支配されていた。これがソビエトが俺たちポーランドにやった解放政策だ。あの畜生どもは強制収容所から解放されたロシア人とポーランド人の女性を大人から子どもまで犯しやがったんだ!!!ところで俺はアッパー・シレジア出身だ。家族はこの恐怖をはじめから終わりまで経験している。

Q. あなた自身やご家族は、連合国側に対して怒りを抱いていましたか?

A. いいえ。まったく。私の叔母はのちに私がアメリカ人と結婚したことが気に入らなかったみたいだけど。彼女は私たち夫婦を家に入れてくれなかったわ。それは命令だった。英語とアメリカ人。
もし人が誰かに対して激しい怒りを持ち続けたとしたら、それは戦争を引き起こしてしまうわ。
私たち家族はアメリカ人が大好きよ。母はかつて彼らのために洗濯をしていたの。でもそのとき1人のアメリカ人が母を犯そうとした。家族は彼を家の外まで追いかけた。その糞野郎のために服を洗ってあげた結果がこれだった。
(孫:祖母の英語が完璧じゃないことを忘れないで。正確に引用しようとトライしてるけど。どうやら祖母は複雑な心境みたいだ) 
 
Q. あなたや周りのドイツ人はヒトラーのユダヤ人に対する扱いをどう感じていましたか?

A. 申し訳なく思っていたわ。少なくとも私の家族は。酷い話よ。くそっ。ヒトラーがユダヤ人たちを列車に押し込んでいるニュースを見た。あの畜生め。私たちの町にユダヤ人がいたかどうかはわからない……

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Q. 強制収容所のことを一般市民はどれぐらい知っていましたか?彼らが強制収容所について知っていたと確信していますが、みんなその中で実際に行われていたことを知っていましたか?

A. 私たちはヒトラーがユダヤ人を強制収容所へ送っているのを知っていたわ。でも戦争が終わるまでは、そこでユダヤ人に対して行われていたことを知らなかった。

 └・私の祖母も1950年代までドイツに住んでた。当時10歳だったの。彼女も同じことを言ってたわ。秘密警察以外の人たちは誰もそこで何が行われているか手がかりすらもっていなかったということをみんな忘れてしまったみたいね。AMAをやってくださってありがとう。祖母のことを思い出したわ。:)

Q. 戦時中に起こったことで笑える話はありますか?防空壕にいた時なにが起こりましたか?当時の日常生活についての笑い話に興味があります。

A. 私たちは瓦礫から不発弾を取り出したの。火薬を採るためにね。ド阿呆な私は火薬に火をつけた。爆発で窓が吹き飛んで、何人かの足に破片が突き刺さった。一方私は眉毛と頭頂部の髪が燃えてしまった。母はおかまい無しに私を学校へ行かせたわ。母が爆発音を聞いて走ってきた時こう言い放ったのよ。「あの子(私)が一緒だってわかってるわよ!」。私たちは今でもこの話で笑ってるわ。

Q. 眉毛無しで歩き回るのはちょっと笑えますね。防空壕はどうでした?楽しみがあった?それともそこに隠れている間はずっとただ怯えていた?隣人たちはどんな感じでした? 

A. えぇと、私たちは家に備え付けの防空壕を持っていたの。うちのは1度雨のせいでほとんど壊れてしまったけど。私たちは防空壕から月を眺めていた。5人の子どもと母と叔母にとっては十分な広さだった。楽しくはなかったけどかまわなかったわ。空から落ちてくるものに怯えていた。私たちは補強用の木材を持っていなかったの。
戦後は避難場所のために戦わなければならなかった。 川の向こうから来た何人かの男たちがそれを自分のものにしようとしたから。兄はスリングショットで打たれて視力をほぼ失った。
(孫:祖母がなにを話しているのかわからない人へ。祖母は幼稚な縄張り争いについて語っている)

Q. ドイツが降伏したときどこにいましたか?あなたや家族はどう思いましたか?


A. 町の外にいた。叔母に飛行機がいると聞いてみんなで町へ戻ったの。兄は「連合軍が来た!」と言った。私たちは戦争が終わって父が家に帰ってくることを喜んだわ。

Q. ヒトラーが死んだのを知ったときの一般的なドイツ市民の反応はどんなものでしたか?

A. たくさんの人が未だに信じていないわ。彼が毒を飲んで自殺したなんて。一般的なドイツ市民がどう思ってるかはわからないわ。本当に。

 └・彼が70歳までアルゼンチンで生きてたかもしれないっていうことを示すいくつかの証拠があるよ。

  └・それはめちゃくちゃ面白い映画のプロットになりそうだ。
第二次世界大戦の終結が欧州戦線に訪れた。アドルフ・ヒトラーの地下燃料庫での服毒自殺によって…………本当に?『ゾンビ・ヒトラー2:ブーガルビートでT・K・O!』


アイアン・スカイ

ナチスが月から攻めて来た! ! 前人未踏のSFアクションエンターテイメントの誕生! !

2018年、再選を目指すアメリカ大統領により、選挙PRのために月に送り込まれた黒人モデルのワシントンは無事に月面に上陸。しかし、すぐに鉤十字を身にまとう月面ナチス親衛隊クラウスに拉致されてしまう。なんと彼らは、第二次大戦後地球を後にしたナチスだった!ナチスが月から攻めて来た!前人未踏のSFアクションエンターテイメント!!


Q. 戦後は東ドイツと西ドイツのどちらにいたんですか?反対側に対してどのような態度をとっていましたか?


A. 西ドイツよ。東ドイツはひどかった。彼らは出たがってた。私たちは同情していたわ。東ドイツの人たちは西ドイツに来たがってた。たくさんの人が殺されたわ。

Q. 戦争のために他国へ行っていたドイツの退役軍人に対してどう思っていますか?彼らはヒーロー扱いされていますか?

A. わからない。覚えてないわ。ロシアは彼らを10年間囚人として捕らえていた。アメリカはそう長くなかったけど。ドイツ兵たちは私たちに食料をくれていたわ。アメリカが来て町でちょっとした撃ち合いをするまでは。それが私たちが町に留まった理由よ。私たちが恐れていたものだった。

 └・ドイツ人として、軍人をヒーロー視するのはとてもアメリカ的だと言わざるをえない。これはおそらくドイツの過去の結果だろう。今日のドイツ兵はヒーローとはほど遠い。彼らがどんなに英雄的な行動(自然災害後の清掃活動を手伝うとか)をしたとしても。

Q. 戦後、生活はどう変わったんですか?急激に?徐々に?


A. 急激によ。それまで私たちは、家の外で寝るということがどんなものか知らなかった。私たちは歩道で寝たの。戦闘機からも爆弾からも隠れる必要がないことにびっくりしたわ。 かつては光を外に漏らさないようにカーテンを閉めたものだった。監視員が外に光が漏れていないかを確かめにきたの。信じられなかった。とても平和になったってことね……。
戦時中はヒトラーのくそったれな写真も家に置いておかなければならなかった。戦後母はそれをズタズタに刻んで焼いたわ。
(孫:爆撃のターゲットにならないため、窓から灯りを漏らさないようにしなければならなかったということだ。祖母が歩道で眠ったのは、自由のうねりを感じたから。ヒトラーの写真はオーブンに入れられ燃やされた。)

 └・僕らが当然と思ってることだ……

 └・>ヒトラーの写真はオーブンに入れられ燃やされた。
  完璧だ。

  └・この皮肉は素晴らしい。

Q. ヒトラーや第三帝国についてのジョークがネット上にたくさんあります。どう感じますか?

A. 何であろうと、その人たちは自分たちがやりたいことをやれる。そう思うわ。やる気になるものならなんでもね。
 


044932戦争が終わって自由になったから歩道で寝てみるという発想に驚きました。

お孫さんが言ってるように、今回の英語は手強かったです……わけがわからないところはそのまま直訳しました。

追記:いつもは罵倒語のほとんどを、「くそったれ」とか「糞野郎」と訳してますが、今回は英語が堪能でない老婦人が罵倒語をバリエーション豊かに使っているのが面白かったので、なるべく再現したかった……んですが……違和感があったらすみません。

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