今回の回答者は、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を生き延びたという90歳の男性です。強制収容所での生活から現代のテクノロジーや社会情勢に対する思いまでを語るAMA(なんか質問ある?)。

(OP)
私はホロコーストの生き残りで、ジムで自分撮りした爺さんだ。AMA(なんでも聞いとくれ)!

(OPの孫)
昨日、うちの祖父がジムで自分撮りした写真をRedditに投稿したんだ。
これがそのスレ:90歳のうちのじいちゃんのスマホにこんな写真があったんだが……


祖父はホロコーストのあいだ強制収容所に入れられていた。それは彼に大きな衝撃をもたらしたと思う。祖父は人より仕事が速く、看守の1人と仲良くなった。そのおかげで最終的に収容所を脱出できたんだ。
あるとき仲の良かった看守が祖父に言った。これから1分間背を向けるつもりだ、と。彼はなぜそんなことを言い出したのか。その理由を祖父が理解したのは、シートに鍵が置かれたオートバイを目にしたときだった。祖父はチャンスを逃さずに収容所から逃げた。
看守とは二度と会うことは無かった。

祖父はいつも体調をキープしてるよ。それが祖父の命を救ったからだと僕は思う。

証明:
 

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Q. ウェイトリフティングできる?


A. あぁ。やっているし、毎朝5時にジムに通っているよ。その時間なら誰もいないし、好きに器具を使うことができる。ジムには健康を保って生き続けるために行っているんだ。自分自身にできることはたった2つだけだ。つまり自分の体のために何をするか、それから何を食べるか。

Q. 素晴らしいお話ですね。サー、あなたを尊敬します。どのぐらい頻繁にジムで自分撮りしているんですか?

A. このスマートフォンを買ったばかりで、カメラ機能を使うのにワクワクしていたんだ。あれが初めての撮影だよ。

 └・おじいちゃんは昨日の写真と同じ服を着てるの?

  └・(OP孫) そうだね。気づかなかった。スティーブ・ジョブズが大好きだから、たぶん彼の真似をしてるんだよ。

Q. 信じられないエピソードね。:) あなたのおじいちゃんの人生を描いた本か映画が見たい<3

A. (OP孫) じいちゃんはニューアークでたくさんの子どもたちに彼が経験したことを話して聞かせてる。動画を探してみるよ。今はスピーチの後のコリー・ブッカー市長との写真しか見つかんないや。じいちゃんはいつも自分が市長のことをどれだけ大好きか語ってる。それがじいちゃんの好きな話題のひとつだね。
(訳注:コリー・ブッカー氏は、ボディーガードの制止を振り切って燃えている隣家に飛び込んで住民を救出したり、1週間食費1日4ドル32セント(約360円)生活をしたり、治安が悪いことで有名な地区のアパート(家賃月1200ドル)に住んだりと、ちょっと変わった市長のようです)


 └・おじいちゃんは看守の名前を覚えてる?もしそうなら、連絡を取ったら素晴らしいと思うよ!

  └・悲しいことだが、その看守はこの写真にいるかも。
soldiersexecuted1
(訳注:機関銃による武装親衛隊の処刑。346人の処刑後の写真)

    └・それが悲しいことなのかどうかわからない。1人を死から救ったからといって、極悪な糞に関与したことはチャラにならないさ。
 
Q. どこの強制収容所を生き延びたんですか?そこを離れてから戻ったことがありますか?

A. ダッハウ強制収容所だ。一度も戻っていない。思い出を追体験したくはなかった。

ダッハウ強制収容所(ダッハウきょうせいしゅうようじょ、独語:Konzentrationslager Dachau)は、ドイツバイエルン州ミュンヘンの北西15キロほどのところにある都市ダッハウに存在したナチス・ドイツ強制収容所である。ナチスの強制収容所の中ではオラニエンブルク強制収容所と並んで最も古い強制収容所と言われ、後に創設された多くの強制収容所のモデルとなった。
Wikipediaより

 └・うちのじいちゃんはダッハウ強制収容所の解放を手助けしたんだ。世間て狭いね。

  └・うちの曾祖父はナチだったと80%の確信がある。うちはアメリカに移住したけど、過去に俺んちと君んちは確実に敵対していた。うちの家族はそれについて話そうとしない。俺の家系は最悪だ。:(

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Q. So, sprechen Sie deutsch?(じゃぁドイツ語話せますか?)

A. (OP孫) うん、うちのじいちゃんは流暢にドイツ語を話せるよ。

Q. 好奇心からお尋ねしますが、何ヵ国語を流暢に話せますか?

A. スペイン語、英語、ハンガリー語、ルーマニア語、ドイツ語、フランス語。

Q. 強制収容所に送られたとき何歳でした?

A. 私は20歳だった。姉は22歳と23歳だったよ。どちらも生きのびた。両親は47歳と49歳だったが、収容所に連れて行かれた後二度と会えなかった。

Q. これはおそらく愚かな質問なんでしょうけど、強制収容所ではどんな食事が与えられましたか?

A. 彼らはスープの大鍋を1日1度宿舎に持ってきた。人々は列に並んでスープをもらい、それが無くなったら後の人はなにももらえなかった。稀にパンをもらうこともあったよ。

 └・順番で争うことが多くあった?みんな先頭のほうに並ぶために努力していたに違いない。

  └・他のホロコースト生存者の話を読んだことあるけど、彼女ははじめのほうに並ばない戦略を持ってたって言ってたよ。鍋の中身が減ってきたらスープだけじゃなくて具がもらえるからって。

   └・アート・スピーゲルマンの「マウスーアウシュヴィッツを生きのびた父親の物語」は素晴らしいグラフィックノベル(大人向けコミック)だ。作者の父はアウシュヴィッツ強制収容所の生き残りで、その戦略を実行してたって言ってた。その戦略には、後ろのほうに並んだ場合に食べ物にありつける保証はないって問題があるけど。


Q. オートバイで簡単に逃げられましたか?それとも隠れたり進んだりして時間を過ごしましたか?


A. あらゆる意味で簡単な脱走ではなかったよ。走ったり隠れたりして多くの時間を過ごした。だが結局ロシア人に捕らえられたんだ。とても長い話だ。

Q. 「シンドラーのリスト」のような映画は、ホロコーストが実際にどのようなものだったかを正確に描いていますか?



A. あの残虐行為を寸分違わず伝えることができる映画はひとつも無い。スクリーン上で見ることと体験することは完全に別物だよ。事実上あの映画の多くの様相は正確だったがね。

 └・その経験の後、ああいうタイプの映画を見るのが難しくなりましたか?

  └(OP) あぁ、そうだね。だがあの話が語られることは重要だと思っているよ。罪を犯す能力を持った悪人に人々が気づくために。
その気づきが重要である一方で、人種や宗教や標的とされる人々のグループを問わず、彼らに対する偏見と憎悪に対して実際にアクションを起こすこと以上に重大な物は無い。

  └・うちの大学の歴史調査でホロコーストサバイバーが話をしてくれたんだが、彼もホロコーストの映画を見ることができないって言ってたよ。

   └・うちのじいちゃんは第二次世界大戦で捕虜を救出する特別任務をやってたんだけど、それについて1度も話してくれなかったな。じいちゃんが死んじゃって1週間後に1人の男が訪ねてきて、うちのばあちゃんと親父に、じいちゃんがはるか昔に彼の命を救ったって言ったらしい。親父はそれについて俺に1度だけ話してくれた。後にも先にも親父があれほど激しく泣くのを見たことがない。

   └・俺にはPTSDを持ってる友人がいる。俺たちは彼がアフガニスタンに行くまで、アフガニスタンネタのジョークを言い合ってたんだ。友人の帰国後にそのネタで一度彼をからかったら、彼にPTSDを患っていることを打ち明けられ、そういうジョークを言わないでくれと頼まれた。俺は二度とジョークのネタにしないと決めた。

Q. お気に入りの映画トップ1とトップ2を教えてください。

A. 「風と共に去りぬ」と「ブレージング・サドル」かな。



Q. 同性愛者の男として、強制収容所で男性の同性愛者がどう扱われたかに興味があります。強制収容所のゲイたちに関しては、彼らがピンク色の逆三角形のバッジを付けていたこと以上の十分な情報がありません。なにか見聞きしましたか?彼らのセクシュアリティのために収容所に入れられている仲間たちから軽蔑を持って扱われていましたか?

ピンク・トライアングルpink trianglerosa Winkel)は、ホロコーストで強制収容された者に装着が義務づけられていた三角形の識別胸章のうち、男性の同性愛者を表したもの(女性の同性愛者はブラック・トライアングルで表された)。ラベンダー・ピンク色をしていたことからこの名が付いた。女性を含む、これらの同性愛収容者の多く(研究により1万~60万人といわれる)が、アウトバーン建設に代表される強制労働中や、収容所内で組織的に衰弱死・懲罰死させられ、また、虐殺された。
Wikipediaより 

A. もし同性愛者の疑いを持たれたら、即座に殺されて収容所にすら辿り着かなかった。私はピンク・トライアングルを身に付けた人を見た覚えが無い。これはおそらく彼らが既に抹殺されていたからかもしれない。
私たちは皆とても打ちのめされていたように感じていた。まるで歩くゾンビの群れのように。囚われの身同士が人間関係を築くことはごくまれだった。

Q. AMAをやってくださってありがとうございます。うちの家族もホロコーストの生存者です。あなたの経験は宗教や神に対する見方と人生の生き方をどう変えましたか?

A. あの経験は、自分のベストを引き出してくれる人々と一緒にいることの重要性を私に教えてくれた。何が起こるか全く分からない。その瞬間を生きながら、生活のポジティブな面に集中すること。それは非常に重要なことだよ。
宗教や神に関する質問にはあまり答える気がしないね。

 └・(OP孫) もし祖父がRedditがどんなとこか知ってたら、もっと進んで宗教に関する質問に答えると思うよ。ここの住人の大部分がするような質問ならね。
(訳注:Reddit住人で一番多いのは大学を出た20~30代の男性で、宗教関係板の中では/r/atheism(無神論者板)が人気があります)

Q. あなたは無神論者ですか?もし立ち入りすぎた質問だったら申し訳ありません。単なる好奇心です。

A. 宗教の話題に巻き込まれるのが好きではないが、同情に重きを置いた道徳と、全ての個人個人の理解を信仰していると言うだろう。それが私の生き方の規範だ。 

Q. もし人生のある瞬間をもう一度味わえるとしたら、どの瞬間を選びますか?


A. 終戦の日だよ。人生の終わりではなく、続きを見た瞬間だった。あの瞬間が無ければ、妻とは結婚できなかっただろう!

 └・ここに同じような感情を体験できる人はとても少ないだろうな。

  └・どうかな。俺こないだ道で5ドル見つけたぜ。

   └(OP) そういうユーモアは、憎悪に立ち向かう素晴らしいパワーとして役に立つんだよ。

  └・1999年の僕が6歳のときの話だが、NATOの空爆を受けている間、みんな死んでしまうんだという確信を持っていた。とくに通りの反対の建物が爆撃を受けていた瞬間は。爆撃が止んだとき、僕らは死んでいなかった。僕は思った。「やっぱり成長できるかも」

アライド・フォース作戦 (Operation Allied Force) とは、北大西洋条約機構 (NATO) 加盟諸国がコソボ紛争末期の1999年に実施した航空攻撃を主とする作戦である。作戦名の“Allied Force”とは「連合軍」の意。

ユーゴスラビア連邦共和国首都であるベオグラードコソボモンテネグロの軍事施設に限定された攻撃であったが、NATOはセルビア系による民族浄化など不法行為を根拠にユーゴスラビアの全域を攻撃の対象とするようになった。そのため、ユーゴ空爆とも呼ばれることがある。

Wikipediaより 

Q. 奥さんとはどうやって出会ったの?

A. ブラインドデート(友人知人の紹介を受けて知らない相手と1対1のデートをすること)をしたんだ。妻はアメリカ人だが、彼女の両親はハンガリー人で、その両親が私たちを引き合わせた。これが結婚して数年後の私たちの写真だよ。


Q. 生きてる間に見られると思っていなかったテクノロジーは何ですか?どのテクノロジーがあなたを1番驚かせましたか?


A. 一番突飛な想像の中ですら、電話で孫の動画を見られるとは思っていなかった。本当に驚いている。その可能性は1960年の世界博覧会で語られていたが、まさか自分がそれを目にできるとは全く思っていなかった。
それから、コミュニケーションの新しい形式のせいで中東で起こったことを目撃してショックだった。

Q. 現在パレスチナで起こっていること、両側がやっている暴力や殺害についてなにか意見はありますか?

A. 確かに複雑な状況だ。生きている間に平和な状態を見ることができたらいいんだが。危険の無いイスラエルと、安全なパレスチナの統一政府を。とても実現しそうにないことだ。中東を取り巻く社会の動乱は私を心配させているが、私はこれが単に独裁政治の数年間の後で民主主義を形成する産みの苦しみであることを期待しているよ。


Q. これは奇妙な質問かもしれません……ですが……ホロコースト中の残虐行為を問う裁判にかけられる年老いた強制収容所の元看守や元士官たちに対し、どのように感じていますか?過去70年間で彼らが名誉を挽回したかもしれないと思うだけの時間が経ちましたか?彼らはレッテルを貼られるべきだが、刑務所に入れられ処刑される必要は無い、というように。(「彼らが余生を平和に暮らすことが許されるべきだ」とか「収容所の看守・士官・兵員の追跡や収監、処刑に財源を費やすのは馬鹿げている」という議論を聞いたことがあります。
僕は生存者の意見を聞きたいです。なぜなら生存者が苦しめられた人の代弁者であり、犯罪の被害者だからです)


A. これは答えるのがとても難しい質問だ。私は法の規定を信じている。どんな形であれ他の人間の大量殺戮を援助した場合、司法は正しく適用されるべきだと思う。私は罰を目的とした罰を喜ばない。許し、恨みを抱えないようベストを尽くそうとしている。そうは言っても、法律は正しく適用されるべきで、責任は果たされるべきだと思っている。
 
Q. ナチスがしたことを許しましたか?

A. 今までに謝罪を受けたかどうかわからない。彼らは歴史における人間による大悲劇のひとつを引き起こした。だから許すのは難しいだろう。
6千万以上の人々があの戦争で殺された。ユダヤ人、ロシア人、精神病の人々、同性愛者、アメリカ人、その他の数えきれない、本当に数えきれないほど多くの人々が。

 └・あの戦争に影響を受けたのがユダヤ人だけでないことを認識してくださってありがとうございます。とても多くの人々が同性愛者や労働組合員、精神病者、シンティ・ロマ人も同じように殺されたことを忘れてしまっています。私は数年前にザクセンハウゼン強制収容所を訪れました。そこにはユダヤ人だけでなく全ての犠牲者の記録がありました。死体焼却炉と収容所を通り過ぎたこと、歴史から忘れ去られがちなとてもたくさんの人々がそこで亡くなったのを知ることは、特に胸に突き刺さりました。

シンティ・ロマは15世紀頃からドイツ語圏に定住したロマと同根のロマニ系の集団であるシンティ (Sinti)と、主に東欧に移住し、後のルーマニアに当たる地域で奴隷とされた集団であるロマとを併せた呼称。ナチス・ドイツの時代には、ナチズムのイデオロギーに基づくいわゆる「劣等人種」だとしてシンティ・ロマも強制収容所に収容され、殺害された。
Wikipediaより

Q. もし現代ドイツ人からの謝罪があなたに合うなら……ごめんなさい。

A. その必要は全くない。君が個人的に犯した残虐行為じゃないんだから。それ以上に、ドイツ政府とドイツ人は世界中でホロコースト教育にとてつもない支援をしてきたよ。Danke schon(ドイツ語で「ありがとう」)

 └・僕だけかもしれなけど、あなたが「Danke schon」と最後に付け加えたことで、ほとんど泣きそうになっています。

 └・ドイツ人として言いますが、自分の国が60年以上前にやったことに、ドイツの民衆はいまだずっと影響され続けています。ホロコーストはドイツ人全員が恥じているものです。私の曾祖母は終戦後にアメリカ人によって強制収容所の1つへ連れて行かれました。そこがどんなものだったかを見せるために。曾祖母はそこで見たものに激怒しました。彼女はいまだに怒っています。

 └・人は先祖がやったことで謝罪する必要は無い。それは俺が大っ嫌いなことのうちのひとつだ。みんなが今のドイツ人に謝罪の気持ちを持てと言う。俺たちは自分たちのかなりクソ素晴らしい歴史を知ってるし、先祖がやったことも知ってる。だが俺たちはそれを変えることができないし、俺たちがそういう恐ろしいことをやったわけじゃない。

  └・僕はドイツ出身で6歳のときアメリカに引っ越した。7歳かそこらのときに、一部の黒人の子どもたちから酷い目に合わされた。そのただひとつの理由が「あいつはファッキンナチ野郎だ!」というものだった……。当時ナチが何かも知らなかったのに。でも小学校の残りの時間、僕は「あのナチのガキ」と呼ばれ、僕が生まれた国の聞いたことも無い何かのために謝罪するべきだと言われた。まさに最悪だった。終わりの無いイジメのためにその学校を後に去らざるをえなくなった。そして最終的に家族でドイツに戻った。アメリカは僕にとって楽しい経験じゃなかった。:/

   └・糞ガキども:「お前はナチだ!」と言いながらナチのように振る舞う。

  └・イギリス人として言うが、君は確実になにも謝る必要は無い。君の祖父母がクソみたいなことをやっただけだ。うちの祖父母がクソみたいなことをやったのと同じだけな。それをやったのは君じゃないし、俺でもない。俺に言わせりゃ親の罪に子どもが問われるなんて間違ってる。全ての人間への寛容と尊敬をもとに、新しいヨーロッパを築こうぜ。

   └・そこは「ヨーロッパ」じゃなくて「世界」と言おうぜ。

Q. あなたの経験から僕らになにかアドバイスを頂けますか?

A. 人生のポジティブな側面を活かし、ネガティブな側面を無視するようベストを尽くしなさい。



handshake

過去は変えられなくとも、未来は変えられますよね。

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